脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

コミュニケーションツールとしての「麻雀」

先日、伊坂幸太郎の『砂漠』という小説を読んだ。

 

砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)

 

 

いわゆる青春小説の類で、仙台の大学に通う5人の大学生の話なのだけど、本書の特徴として話の端々に「麻雀」が出てくる。阿佐田哲也の『麻雀放浪記』で使われているような牌活字まで出てきて割と本格的だ。

 

僕の学生時代でも、麻雀は重要なコミュニケーションツールだった。麻雀を通じて結構な数の人と知り合い、仲良くなった。麻雀がなかったら、僕の人生は変わっていたかもしれない。そもそも、一緒に起業することになった友人の一人と知り合ったのも麻雀がきっかけだったような気がする。

 

実際、麻雀はコミュニケーションツールとして優れている点が多々ある。

 

まず、ゲームをするために4人必要だというのがよい。4人集めなければならないとなると、必ずしも全員が全員お互いに知り合い同士というメンツにはならない。時には「知り合いの知り合い」が入ることになり、そのおかげで自然に知り合いが増えていく。

 

また、ゲーム時間が長いというのもよい。「2時間の飲み会でちょっと喋っただけ」という場合と違い、卓を囲んでそれなりに長い時間を過ごせばもうかなり親密になったような気がしてくる。

 

そして、これこそが最大の利点だと思うのだが、麻雀をしている間は「無理に喋らなくてもいい」のがよい。ゲーム時間が長いので、麻雀中は自然としょうもない話をダラダラとすることになりがちだが、あくまでメインは麻雀なので、話に積極的に参加するのが面倒だと思ったら麻雀に集中してればいい。基本は麻雀に集中して、適当に話したくなったら話せばいいから、コミュニケーションを取る・取らないに選択の自由がある。場がシーンとしても別にそれはそれでいいし、「何か話さなきゃ!」と話題を無理に探す必要もない。沈黙状態になっても、麻雀自体が普通に楽しいから苦痛にならないのだ。

 

これが飲み会とかだと、そうはいかない。飲み会は名前こそ飲み会になっているが、何も喋らずに目の前のお酒にだけ集中すればよい、というようにはならない。一時的に料理やお酒の話題に逃げることはできるが、長くは続かない。飲み会は「コミュニケーションそのもの」を楽しめない人には結構つらい。

 

もちろん、麻雀には問題もある。そもそも、前述したメンツが4人必要であるとか、ゲーム時間が長いというのは利点であると同時に欠点でもある。むしろこれらは時間のない会社員にとっては、ほとんどの場合には欠点となるはずだ。ルールが複雑で参入障壁が異様に高いというのも欠点だ。教えてくれと頼めば喜んで教えてくれる人はいるだろうけど、そのままカモにされる危険性も高い。

 

このような欠点はあるにせよ、やはり僕は麻雀が好きである。もっとも、最近は全然やっていない。いや、「最近」どころではないかもしれない。10年はさすがに行かないと思うが、5年ぐらいはやってないのではないだろうか。役を忘れてるということはないだろうけど、点数計算は正直ちょっとあやしい気がしている。 

 

勉強は「動機」に投資するのが一番確実

こちらの記事を読んで、感心したので。

 

高校も塾も行かずに合格! 京大3兄弟の秘密 | 世界キャリア家族の子育て戦略 | 東洋経済オンライン 

 

平日の昼間にふらっとカフェに行ったりすると、よくお母さんグループがお茶を飲んでいるのに遭遇することがある。会話の内容は概ね、子供の教育の話だ。「◯◯ちゃんが✕✕の教室に通いだしたらしい」とか「この間、塾の面談があって云々」とか、そういう話を延々としゃべっている。僕もついつい話の内容が気になってしまって、思わず聞き耳を立ててしまう。子供の教育をどうすればいいのかは、最適解がわからない非常に難しい問題だ。

 

子供の教育投資にお金を払った分だけの効果があるのかは、実はよくわからない。仮に子供が最終的に難関大学に進学したとして、それは果たして進学実績のよい中学校や高校に入ったからなのか、あるいは評判のいい塾や予備校に通ったからなのか、それとも実はそんなのはまったく関係なく、本人が頑張って勉強をしたからなのか、実際には誰にもわからない。本当は塾なんて全然行かせなくても、結果は変わらないのかもしれない。でも、子供の一生がかかっていると思うと、「じゃあとりあえず長男は一切塾なしでやってみようか」というわけにもいかない。しかたがないので、周囲に倣って自分の子供も塾に通わせてみたりする人が多い。

 

自身の経験を鑑みると、予備校の授業であるとか学校の授業が、学力向上に直結したという感じはしない。授業も役に立つことはあるだろうけど、勝負を決めるのはむしろ自宅や図書館の自習室での勉強だ。学力向上に対する時間的な貢献度はこちらのほうが圧倒的に高い。どんなに立派な授業を聞いたところで、自分で勉強しない限り学力は上がらない。予備校や進学校に通う意味があるとしたら、自分で勉強しようとする「きっかけ」になるぐらいだ。だから「きっかけ」だと感じられない人にとっては、お金をかけただけの効果は得られない。

 

その点、冒頭で挙げた記事で紹介されている塾のやり方は優れていると言える。この塾が提供するのは、まさに「きっかけ」そのものだからだ。あたりまえの話なのだけど、勉強ができるようになりたかったら、勉強そのものに興味を持つ以上の方法はない。あれこれ細かい受験テクニックを教える塾や予備校に通うより、確実で効率のよい方法だと思う。

 

この方法は、ある意味では「動機」に投資しているとも言えそうだ。勉強そのものにお金を使うのではなく、勉強の動機を抱くためにお金を使う。確かな動機さえ抱ければ、あとは特にお金をかけなくても自分で伸びていくことができる。動機が曖昧な状態で塾や予備校にひたすら通うのよりも、はるかに効率がいいと言える。

 

「動機」に投資するのが有効なのは、子供の教育だけに限った話ではない。自分自身が勉強するときも、似たようなことは言えそうだ。たとえば、英語を身につけたいと思ったら、いきなり英会話教室に大金を払って通ってはいけない。それよりも先に、自分が英語を勉強する動機を揺るぎないものにするためにお金を使うべきだ。たとえば、外国人の彼女をつくるというのはどうだろうか。英会話教室にお金を払うより、そのお金を外国人の彼女をつくるために使ったほうが、結果的に英語の習得可能性は増す気がする。

 

動機は必ずしもお金を払うことで手に入るものではないが、動機を得るために払うお金はケチらないほうがいい。動機に投資をしておけば、あとで何倍も得をすることになる。

 

ヤル気の科学 行動経済学が教える成功の秘訣

ヤル気の科学 行動経済学が教える成功の秘訣