脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「立場の違い」を「実力」だと勘違いしてしまうのはかっこわるい

先日、とある用事で外出した際に、早く着きすぎてしまったのでカフェで時間を潰していた。

 

そのカフェはオフィス街にあったので、客の多くはサラリーマンのようだった。ノートPCで仕事の資料を作っている人や(余談だが、これはコンプライアンス上望ましくないのでやめたほうがいいと思う)、同僚と雑談をしている人などに混じって、少し目立つ4人組がいた。入社5、6年目らしき会社員2名と、真新しいスーツを着た学生らしき人物が2名。漏れ聞こえてくる話の内容から察するに、先輩社員とインターン生ではないかと思われた。

 

先輩社員が会社のことについて話し、インターン生がそれを聞く。こういう光景は割とよく見るが、今回は少しだけ様子がおかしかった。2名いる先輩社員のうち熱弁をふるっているのは片方だけで、もう片方の社員は退屈そうにスマホをいじっている。インターン生2人は一見熱心に話を聞いているように見えるが、「そうなんですか」という合いの手にはどことなくぎこちなさがある。

 

しばらく話を盗み聞きしていると、なんとなくヘンな空気になっている理由がわかってきた。先輩社員がランチなどの時間を使ってインターン生相手に会社での生活を語ったりすることはどの会社でもよくやられていることだとは思うのだが、その時先輩社員がインターン生に語っていた話の内容は「会社の話」というよりほとんど「自分語り」だったのだ。「俺は〜」から始まる話が異様に多く、しかも他人にとってはすこぶるどうでもいい話で、はっきり言って友人には絶対にしたくないタイプだ。もう片方の先輩社員がずっとスマホをいじっているのは、そんな同僚の態度に飽々しているからだろう。しかしインターン生2人はそういう態度を取るわけにも行かず、熱心に話を聞く「振り」をするしかない。

 

僕はこの光景を見て、「いやったらしいなぁ」と思わずにはいられなかった。世の中には「逆らうことができない立場」というものがある。たとえば、部下は上司には逆らえない。飲食店の店員も客には逆らえない。この場合で言うと、インターン生は先輩社員には逆らえない。先輩社員の「自分語り」に対して、あからさまに興味がないという態度を取ることは許されず、どんなに話がつまらなくても「熱心に聞いている」振りをして「参考になりました」とお礼を述べなければならないのだ。絶対に殴り返してこない相手をせっせと殴る光景を見せつけられたような、そんな気持ちになった。

 

これと類似の事象は、たとえば飲み会の席で上司が部下に対して行う説教であるとか、飲食店の顧客が店員に対してつけるクレームであるとか、「立場の違い」が存在する至るところで発見できる。立場が上の者は、その立場の分だけ本来の実力よりも余分に力を持つことができる。そしてより一層罪深いように思えてしまうのは、こういった立場の違いによるバイアスの存在に無自覚で、それを自分の本当の実力だと勘違いしてしまっている人たちがいることだ。こういうのはものすごくみっともないし、かっこわるいと思う。

 

今回インターン生相手にずっと自分語りをしていた先輩社員も、同じことを同期との飲み会でやったらおそらく誰も真剣に相手をしてはくれないだろう。飲み会でいつも部下に説教をする上司も、家に帰って息子に同じことをしたら煙たがられるに違いない。立場の違いによって得た一時的な力を、自分の本当の実力だと勘違いするのはみっともないことだと思う。立場に差があるときこそ、謙虚さを忘れないでいたい。

 

謙虚な心

謙虚な心

 

 

『星降る夜は社畜を殴れ』:"社畜ライトノベル"の誕生

著者の高橋祐一さんから本をお送りいただきました。ありがとうございます。

 

星降る夜は社畜を殴れ (角川スニーカー文庫)

星降る夜は社畜を殴れ (角川スニーカー文庫)

 

 

本書の存在を知った時の衝撃は忘れられない。社畜ブラック企業をテーマにした本は(僕の本も含めて)結構な数が出ているが、本書のような「社畜×ライトノベル」という切り口はおそらく本書がはじめてだろう。

 

どんな内容なのだろうか、書名を見ただけでは正直まったく想像がつかなかった。労働問題を扱った小説ということは、『蟹工船』とか『太陽のない街』のように、労働者が団結して資本家と戦う話になるのだろうか。だとすると、なんだか暗くて重い話になりそうだ。心して読まねばなるまい。

 

しかし実際には、僕の予想は1ミリもかすっていなかった。全然暗くないし重くない(ライトノベルが重かったら問題だ)。ギャグが多数散りばめられ、終始ハイテンションでストーリーが進んでいく。普段はライトノベルをサッパリ読まないのであまり詳しくないのだけど(ライトノベルは中学生の頃に『ブギーポップは笑わない』を読んだのがたぶん最後 よく考えたら筒井先生の『ビアンカ・オーバースタディ』を読んでました)、詳しい人に聞いたところ本書は「バトルコメディー」なるジャンルに属するらしい。もっとも、ジャンルという枠に嵌めて単純化して語れるような本だとは思えない。谷川流氏の推薦文に「自分が読んでいるものが一瞬何なのか解らなくなる」と書いてあったが、まさにそんな感じだ。

 

個人的に興味深いと思ったのは、全体を貫く対立の構造が「社畜vs反社畜」である点だ。これは現代日本の職場をよく表現していると思う。プロレタリア文学的な公式に乗せると対立の構造は「資本家vs労働者」になりそうなところだが、現代日本においてはたしかに本書の示す「社畜vs反社畜」のほうが一般的かもしれない。

 

たとえば『法令破り』(コンプライアンス・ブレイカー)の二つ名を持つ田中係長はいわゆる「社畜側」の人間だが、地位について言えばあくまで経営者ではなく従業員である(まあ管理職ではあるのだけれど)。社畜的労働を部下に強要しまくったからといって、別に自分が金儲けできるわけではない。資本家が金儲けのために労働者から搾取するのとはちょっと違う。そういう意味で、社畜側が社畜に固執する動機がよくわからなくもあるのだけど、それは別にこの物語の欠陥というわけではなく、現実に日本の会社がそうだからなのだ。

 

この「本来は同じ立場であるはずの従業員同士」が、「社畜と反社畜」に分かれて争ってしまうあたりが現代日本の職場のとてつもなくヘンなところであり、そして実は笑いどころでもある。ブラック企業や労働の問題は、必ずしも笑って済まされるような問題ではないのだけど、本書のように「笑う」立場の本も僕はとても重要だと思う。実際、定時帰宅が超例外で、毎日残業するほうがあたりまえな社会なんて、冷静になって考えると「アホらしくてかなり笑える」気がしないだろうか。

 

もっとも、全部が全部ネタに走っているだけではない。「名ばかり店長・管理職」の説明があったり、「ダメな労働組合の特徴」が説明されていたり、実際に役に立つ知識も少し載っている。こういう知識を知っている人は純粋に増えて欲しいと思う。特に、若い人に。

 

拙著『定時帰宅。』と合わせてお読みいただけると、脱社畜の心意気が高まるのではないだろうか。

 

定時帰宅。~「働きやすさ」を自分でつくる仕事術~

定時帰宅。~「働きやすさ」を自分でつくる仕事術~