脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

イノベーションを起こすためには、本当に在宅勤務を禁止すべきなのか?

こちらの記事を読んで。


チームラボ・猪子寿之:ヤフーもやめたでしょ。「ノマド」「在宅勤務」を禁止する理由 | BizCOLLEGE <日経BPnet>

 

一理あると思う部分もあるものの、完全には賛成しかねるというのが正直な感想だ。

 

たしかに、ブレストをするというのであれば、skypeなどを使ってオンラインでやるよりも直接顔をつきあわせてやったほうが間違いなくいいだろう。電話で話してもどうもうまく通じないが、会ったらあっさり話が進んだということがよくあるように、物事にはオンラインでいいものと、オンラインでは不都合なものがある。場の雰囲気が結果を左右するブレストは、オンラインでは不都合なものの最たるものだろう。

 

一方で、ではブレストが必要なイノベーティブな仕事をするために、在宅勤務を一律に禁止すべきかというと僕は必ずしもそうとは思えない。いくらイノベーティブな仕事だと言っても、朝から晩までずっとブレストばかりしているわけではないだろう。いくら話し合いをしても、実際につくる時間を確保しなければいつまでたっても製品はできない。元記事で挙げられているiPhoneのインタフェースにしても、本当にエンジニアとデザイナーが「四六時中顔をつきあわせながら」つくったのかどうかはあやしいと思う。たしかに従来型の製品に比べて両者のコミュニケーションは密だったかもしれないが、各々が個人的に作業をする時間が皆無だったとは到底考えられない。そして、こうした「個人的に作業をする時間」を在宅勤務の時間として、たとえば週1回であるとか週2回といったように部分的に充てることは可能なはずだ。頻度は業務内容によって調整すればいいが、週5回、絶対に朝から晩まで会社で仕事をしなければダメだという業務はかなり限られているように思える。

 

たったの週に1回だけでも、在宅勤務が認められれば楽になるという人は多いはずだ。週末がすべて家事をすることで潰れているという人も、週に1回は平日に家のことをこなす時間ができる。もちろん、家では怠けてしまって全然集中できないという人は、会社に行って仕事をすればいい。大事なのは、選択の自由を与えることだ。

 

在宅勤務はチームメンバーと話し合いをするのには向かないが、邪魔されない時間を確保するという点では有効な手段でもある。特にエンジニアの場合、「邪魔されないまとまった時間を確保する」ことは生産性を上げるために重要なことだとよく言われる。会社で一緒のフロアで仕事をして、30分に1回、プランナーやデザイナーにチョコチョコと横から話しかけられたのでは仕事は全然進まない。結局、一番集中して実装ができるのはみんなが帰った後の夜中か休日だったりするのだけど、これは深夜残業や休日出勤を発生させている時点でうまいやり方ではない。在宅なら横からちょっかいを出してくるのは家族か新聞のセールスぐらいなので、これらを遮断する策を講じればひとまとまりの時間はとりやすい。

 

思うに、100%在宅勤務であるとか、100%オフィス勤務というのはいずれも極端な意見である。そもそも、在宅勤務というのは「柔軟な働き方」の代表例なわけで、「全部在宅だけで完結させる」という発想にはその柔軟性がない。まずがっつり対面で話し合って仕様を決め、いざ実装となったら各自好きなように働くというのが実際には柔軟性があって理想的なのではないだろうか。「禁止」という形で完全に在宅勤務を諦めてしまうのはもったいないと思う。

 

ちなみに、在宅勤務による機密漏洩や情報流出のリスクがある、という話はまた別問題だ。そういう事態が強く想定される業務の場合には、たしかに一律禁止もやむをえないだろう。もっとも、在宅勤務ではない職場でも情報流出は起きているので、必ずしも在宅勤務を禁止すればこれらの事故が防げるというわけではない。

 

強いチームはオフィスを捨てる: 37シグナルズが考える「働き方革命」

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「ゆるい就職」は、今の日本だと全然ゆるくない。

「ゆるい就職」が話題である。

 

ゆるい就職:若者が正社員で働くのは「負け」 慶大助教が提案 - 毎日新聞

僕が「ゆるい就職」を許せない理由 - 言いたくないけど、僕が青二才です

 

僕は元々週休3日制論者なので、世の中全体がゆるい労働へとシフトしていくのは好もしいと思っていたりもするのだけど、この慶大特任助教が言うところの「ゆるい就職」というのはそういう社会政策的な話ではないらしい。記事によると、「週休4日で15万円」の仕事を若者に紹介する人材派遣サービスがはじめるのだそうだ。つまり、今の日本社会で「ゆるい就職」を目指すという話だ。

 

ちょっと考えてみるとわかるが、これはそんなに「ゆるい」話ではない。 今の日本社会は正規雇用で働くことが前提に社会制度が設計されている。そこで月収15万(社会保険なし)で生きるのはなかなか厳しい。大学を卒業してから10年ぐらいであれば持久戦が可能かもしれないが、それからさらに20年、30年と持続可能なのかと問われると、リスクは過大だと答えざるを得ない。

 

それでも週休4日15万円の働き方を選ぶ理由があるとしたら、それは会社に行かない残りの4日間で、会社以外からの収入確保を目指す場合だろう。理想を言えば、「ゆるい就職」をする時点で、既にある程度はキャッシュフローがあることが望ましい。たとえば、学生時代に学業の傍らはじめたプロジェクトが利益を出しはじめていて、今後も成長の見込みがあるというのであれば、「成長するまでの繋ぎ」として「ゆるい就職」をするのはアリかもしれない。果たして、これに該当する学生が何人いるのか。

 

個人的には、レールを外れた生き方をいけないことだとは思っていない。僕自身、もうとっくにレールは外れてしまっているし、レールを外れて後悔しているわけでもない。レールを外れたおかげで毎日がとても充実している。「今なら会社を辞める前の状態に戻れますよ」と言われても、丁重にお断りするだろう。

 

ただ、レールを外れて生きるためには、戦略が必要だということも忘れてはならない。レールがない以上、どこに向かうかは全部自分で決める必要がある。ただ決めるだけではダメで、適切に決める必要がある。たとえば、どうやって生活費を稼ぐかという問題。これは現時点における稼ぎ方だけでなく、その方法で持続的に稼ぎ続けられるのか、状況が変わった場合にどう対応するのか、といったことまで含めて考える必要がある。こういうことをリアルに突き詰めていくと、結構神経を使う。

 

そういった「レールを外れて生きるための戦略」という観点で、この「ゆるい就職」というやり方を検討してみると、どうもそんなにいい戦略な気がしない。レールを外れるにはやはり相応の「覚悟」が必要だと思うのだけど、この「ゆるい」という言葉からは全然「覚悟」が伝わってこない。実際、説明会の参加者の3分の1は「今後やりたいことを模索したい人」らしいのだが、明らかにこの人たちに「覚悟」はなく、「ゆるい」という言葉に惹きつけられている気がする。レールを外れさえすれば、ゆるく生きられるというのは大きな間違いだ。

 

残念ながら、「ゆるい就職」は今の日本だと全然ゆるくない。社会全体が「ゆるい労働」を許容するようになるのが理想なのは間違いないのだが、果たして実現する日は来るのだろうか。

 

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