脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「仕事もプライベートも充実」はかなり疲れる

「仕事もプライベートも充実」というフレーズを目にすることがある。

 

このフレーズを人生の活動指針にしている人がいたら申し訳ないのだけど、僕自身はあまりこのフレーズが好きではない。たしかに、仕事もプライベートもどちらも充実しているという状態はひとつの理想型ではあるだろう。SNSなどで「自分は仕事もプライベートも充実している」と公言している人を見ると、嫌味でもなんでもなく純粋に「すごいなあ」と感心してしまう。おそらく僕自身がそういう状態に至ることはないだろう。なんというか、仕事もプライベートも全力投球で手を抜かずやっていると、すごく疲れそうだと感じてしまうのだ。

 

苦しいことをやっていると疲れてしまうのは当然なのだけど、実は楽しいことをやっていても活動量が多ければやはり疲れる。充実さえしてれば疲れないということはありえない。基本的に、自分が一週間で使えるエネルギーの量は一定で、仕事にエネルギーをつぎこみすぎるとプライベートにつぎこむエネルギーがなくなってしまうし、逆にプライベートにエネルギーをつぎこみすぎると今度は仕事につぎこむエネルギーがなくなってしまう。だから現実には、仕事が超充実している人はプライベートはあまり充実していないことが多いだろうし、逆にプライベートが超充実している人は仕事はそんなに充実してないことが多い。ほとんどの人はそうやって適当に力を抜くべきところは力を抜きつつバランスをとっているのではないだろうかと思う(もちろんそうではない人もいるだろうけど)。

 

「仕事もプライベートも充実」というフレーズは、「充実していない=よくないこと」と決めつけ、あらゆる領域で全力投球することを是としているようでその点がどうも個人的には気持ちが悪い。別に、プライベートに全力投球するために仕事に割くエネルギーを最小化する人がいたっていいし、逆に仕事に打ち込むためにプライベートを最小化することだってあっていい。自分の価値観に応じて、注力ポイントを柔軟に選んだほうが実はすり減らずに活動を長期間持続できるような気がする。実際、「仕事もプライベートも」と徹底的に欲張った結果、気づけば燃え尽き症候群のような状態になってしまった人を僕は何人も知っている。

 

そもそも、「充実」というのは何を意味するのだろうか。休日に家でゴロゴロしているのだってそれで休息になっているのならある意味充実していると言えるだろうし、一方で会社でどんなに大きな仕事を任されていたとしても、本人がその状態をよいと感じていないのであればそれは充実しているとは言えない。結局、充実しているかどうかは本人の捉え方の問題でしかない。世間のイメージに引っ張られるよりも、自分がやりたいことをやりたいようにやれているかが一番大事なのではないだろうか。

 

たとえば「今はプライベートを第一に考えたい」というのであれば、仕事を無理に頑張る必要はない。何かを頑張ったら、何かで手を抜いてバランスを取るのが人間としては自然である。仕事・プライベートと分離して充実度を測るのではなく、トータルで考えて主観的に充実度を測ればそれでいい。そうやって持続可能な状態をつくり日々を生きていくのが、本当の意味でのワークライフバランスなのではないかと思ったりもする。

 

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「友達の作り方がわからない」という人は、とりあえず知り合いをたくさん作るといい

「社会人になってから、友達の作り方がわからなくなった」

 先週末、久々に会った大学時代の友人と飲んでいたら、そんな話になった。

 

自分で稼ぐようになったいい年齢の大人が「友達の作り方」で悩んでいるというのはなんだかちょっと情けないように聞こえなくもないが、意外とこれと似たことを感じている人は少なくないようだ。そういえばまだ学生だった頃にサークルの飲み会で、会社員のOBから「本当に損得勘定抜きで付き合える友達が作れるのは大学生のうちだけだ」という説教をされたことがあったが、要はこれも「社会に出たら友達の作り方がわからなくなった」(ように感じる)ことから出たアドバイスなのだろう。

 

思うに、会社に入って働くようになったらもう学生時代のような友達は作れないと断言してしまうのには抵抗がある。そうやって会社に入って働くことを不可逆な変化だと見ること自体がそもそも僕の思想とかけ離れているし、それに学生時代につくった友人とは本当に損得勘定抜きで付き合えるのかというと、必ずしもそうではないような気がする。結局は人と人との相性の問題なので、環境と状況が許せば仲良くなれる人とは年齢関係なく仲良くなれるだろうし、逆に仲良くなれない人とはどんな状況に置かれても仲良くなれない。

 

ではなぜ、結構な数の人が「社会人になったら友達の作り方がわからなくなった」などと感じるのだろう。これは結局、職場というコミュニティの性質に依るところが大きい。職場というコミュニティは基本的に内側に閉じていて、大学のサークルほど気軽に抜けたり入ったりすることもできず、流動性が低い。「構成員がそれぞれ気持ちよくすごす」ことよりも「決められた枠組みに基いて日々経済的価値を生み出す」ことに最適化されているので、「居心地が悪い」ことは経済活動に大きな影響がなければ真剣には対処されない。居心地が悪ければすぐフェードアウトし、付き合う相手も柔軟に入れ替わっていた学生時代と同じノリで職場で友達を増やすことなどそもそもできるようになっていない。比べること自体が間違っている。

 

結局、職場で学生時代と同じように友達ができないというのはあたりまえで、できる人がいるとしたらそれはもう本当に特別な才能を持った人だけに限られる。普通の人は、そんな特別な才能は持っていない。だから、職場で仲のいい人がまったくできないからと言って、自分の側に原因があるなどと思ってはいけない。原因はあくまで環境にある。

 

そういうあたりまえの違いを認識上で、学生時代が終わってもまだまだ友達を作りたいと考えるのであれば、方法は単純である。友達を作りたいと思うのだったら、まずは知り合いをたくさん作るようにするといい。そうすれば、そのうちの一部はきっと友達になれる。大切なことは、人と付き合うときに最初から友達になることを目的にしないことだ。世の中にはいろんな価値観があるので、合わない人とは何をやっても合わない。そういう人とは知り合いのままでいたほうがお互い幸せだ。逆に友達になれる人とはそれほど意識しなくても仲良くなれる。ここで無理に友達を作ることだけを追い求めて会う人全員と仲良くなろうとすると、必ずどこかで辛くなって破綻する。

 

知り合いをたくさん作るには、とりあえず会社以外のコミュニティに顔を出すのがおすすめだ。会社以外に所属するコミュニティが思いつかないという人はいろんな意味でまずいので、勉強会でも趣味の集まりでもネットのオフ会でもなんでもいいから「仕事とは違う繋がり」を持つべきである。世界は広いので、会社の外のコミュニティで知り合いを作っていけばどこかで自分と合う人に会える可能性は高い。会社の中に探索範囲を限定してしまうのはおすすめしない。会社はその性質上構成員の価値観をひとつの方向に集約させるので多様性が担保されず、合わない場合トコトン合わないということになりかねない。

 

「友達の作り方」なんて、基本的にはわざわざ意識するようなものではない。そのために自分のコミュニケーションのやり方や物事の捉え方を無理に変えたりするよりも、自然に合う人とよい関係が築けるような環境に身を置くこと考えた方がいい。無理に自分を曲げて上辺だけのつきあいを増やしても、それは友達を増やしたことにはならないだろう。自然にできることを自然のままやるのが一番だ。

 

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない