脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

起業自体を目的にしてしまうとそれはたぶん失敗する

こちらの記事を読んで。
 
彼の決断は既に社会に出ている大人にはだいぶあぶなっかしく見えるようで、はてブのコメントの8割は批判的な内容だ。僕もこの決意エントリを読んで正直なところ彼の将来にかなりの不安を感じたのだが、もう辞めちゃったものはしょうがないわけだし、頑張るなら徹底的に頑張って欲しいので以下のようなコメントを書いた。
 

 
僕の知り合いには25歳から大学に行ったけど卒業してから立派に就職して働いている人とか、大学を8年かけて卒業したけどフリーランスのエンジニアとして食えている人とかもいるし(いずれの人もとっても面白い人たちなので僕は心から彼らを尊敬している)、いしださんはまだ若いのだから失敗してもリカバリープランはいくらでもあるとは思う。たとえば、2年ぐらいの期限を切ってやってみて、ダメだったらまたもう一度大学に入るとか。お金は余分にかかるのでそのぶん両親にも迷惑をかけることになるかもしれないけど、今やらないと絶対に後悔するというのであれば、まあそれもひとつの道だとは思う。
 
もっとも、気になっていることもある。多くの方がご指摘のとおり、例の決意エントリには「起業」「起業」と何度も出てくる割に、肝心の事業内容だとか起業を通じて実現したいことなどがまったく書かれていない。違っていたら申し訳ないのだけど、なんか起業そのものを「かっこいい」と思っていて、それ自体が目的になっているように見えてしまう。
 
こういうのを僕は勝手にファッション起業とか呼んでいる。大学生がファッション起業に憧れるのは10年前から変わらない。僕が大学生の頃から何をするのかよくわからない学生団体や起業サークルはたくさん存在していたし、たぶん今もあるのだろう。東大生でも事業内容が意味不明な会社を登記したとか言ってSNSで「ご報告」してドヤっていた人はいっぱいいる。当然ながら彼らが作って今でも生き残っている会社は一社もない。意識の高い大学生が起業に憧れて特に目的もないのにとりあえず会社を作ってしまうというのは昔からあるテンプレ的な行動で、そういう意味ではこれもまだまだレールに沿った生き方のひとつと言えるかもしれない。
 
実を言うと、僕も大学院のころにちょっとした会社をやっていたことがある。詳しいことは以下の本に書いたのでもし気になったのであればぜひ読んでもらいたいと思うのだけど(買うのがイヤなら図書館で借りてくれてもいい)、実は当時ひとつだけしっかり決めていたことがある。それは、会社は本当にそれが必要になるまで作らない、ということだ。
 
脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考法
 

 

実際に会社を登記する前にも、僕(と友人たち)はいくつかウェブサービスを作ってリリースするなどお金を稼ぐ試行錯誤自体はしていた。この段階で会社を作って「起業」するという選択肢は一応あったはずだが、僕たちは絶対にそれはしないと決めていた。それは純粋に税金や印紙代の問題などもあるのだけど、僕がもっともおそれていたのは、それがファッション起業になってしまうことだった。

 

ファッション起業は明らかに目的と手段を混同しているし、何よりかなりかっこ悪い。結局、ソーシャルゲームmobageGREEで出すにあたって会社の登記事項証明書が必要になったのでその時点で登記はしたのだけど、その時だって「会社を作りました」とブログで報告することもしなかった。そんなことをしても、自尊心を満たす以外にはほとんど何の意味もないからだ。*1それよりも、やらなければならないことがたくさんあった。

 

いしださんの場合は、もしかしたら秘蔵のビジネスプランがあって、それは会社をつくらないとできないことなので起業すると言っているのかもしれないから、もしそうだとすればこの指摘は的外れになるのかもしれない。その時は申し訳ない、このエントリは無視してほしい。でも、もし起業してやろうとしていることが実はただの個人事業の延長のようなものだとするなら、悪いことを言わないから最初に会社を作るのは辞めておいたほうがいい。会社は存在しているだけで税金がかかるし、印紙代や定款の認証にかかるお金も学生を辞めたばかりの人には結構高いと思う。優先度の判断ができないようでは、事業は絶対にうまくいかない。

 

仮に失敗した場合でも、正しいやり方でやって失敗したのであれば、学びは多いし無駄にはならない。一方で、ファッション起業で失敗しても、学べることはほとんどないだろう(ファッション起業をしてはいけない、ぐらいは学べると思うけど)。だからいしださんには、正しい方法で頑張って欲しい。

 

あと、これはブコメにも書いたけど、チャレンジするなら一応期限は決めたほうがいいと思う。若いうちはいくらでもリカバリーは効くと思うけど、年齢が上がるとどんどん選択肢は減っていくので、どこかでリスクヘッジをしておく必要はあるのではないだろうか。

 

*1:もちろん、報告することでメリットがある場合は報告してもいいと思う。知人から仕事がもらえるようになるとか。実際、そういうポストはFacebookなどでよく見かける

出版不況の原因は「活字離れ」ではない:『「本が売れない」というけれど』(永江朗)

本郷三丁目駅の近くに、ブックス・ユニという小さな本屋がある。学生時代、たまにこの本屋で雑誌を買って退屈な授業中に読んだりしていたのだけど、今日前を通りかかったら9月30日で閉店という張り紙がしてあった。本を買ったことがある本屋が閉店するいうニュースを知ると、とても寂しい気持ちになる。

 

リアルの書店が厳しいのは、別にこの店に限った話ではない。ここ数年で、有名な本屋が何軒も潰れた。1999年に2万2000店ぐらいあった本屋は、2015年に1万3000店ぐらいまで減っている。実感としても、昔ほど街で小さな本屋を見かけることが少なくなったように思う。

 

出版不況、本が売れないと叫ばれて久しいが、そもそもの原因はどこにあるのだろう?すぐに考えつくのが、「本を読む人が減った」という答え、つまり「活字離れ」だ。最近はアニメにゲーム、インターネットと娯楽のバリエーションも多くなっている。本を読む人が減っているのでそのぶん本が売れなくなったという仮説は、なんとなく正しいように思える。

 

ところが実際には、出版不況の原因を単純に活字離れに求めることは正しくない。そのことは、この本を読むとよくわかる。現実に起こっている問題はもっと複合的だ。

 

 

筆者によると、「活字ばなれ」への言及は1973年の時点で既にあったらしい。「最近の若い者はけしからん」という言い分と同じで、「最近の若い人は本を読まない」という苦言はもう最近ではなく何十年も前に言われていたようだ。読書週間を調査する『読者世論調査』の結果を見ると、書籍読書率はここ数十年でずっと45%前後で変わっていない。45%という数字はあまり高いとは思えないが、そもそも本は昔からそのぐらいしか読まれなかったということである。今も昔も、本を読む習慣がある人は継続的に本を読んでいて、その習慣が最近になって突如なくったというわけではない。

 

ではなぜ街の本屋は潰れ、出版業界は不況だと言われるのだろうか。それは、新刊を買う人が減っているからだ。本書のデータによると、ブックオフで取引される本の数や、図書館で貸し出される本まで含めて考えると総数はほとんど減っていないようにも見える。ところが新刊一冊あたりの販売数は下落の一途を辿っており、それを補うべく新刊点数が鬼のように増えている。

 

さらに、出版不況という意味では雑誌が売れなくなったことによる寄与度が非常に大きい。雑誌にはそれ自体の売上だけでなく、広告という重要な収益寄与がある。雑誌が売れなくなると、出版社の被る打撃は大きい。さらには、雑誌が売れなくなると、雑誌が主力の小さな書店は打撃を受けて潰れる。書店が減るということはそれだけ販売チャネルが減るということなので、雑誌はますます売れなくなる。こういった負のスパイラルに陥っている。

 

Amazon電子書籍の影響も無視できない。再販売価格維持制度によって、本の定価の決定権がつねに出版社にあるという業界構造の問題もある。少なくとも、「本が売れない」原因は「活字ばなれ」なんて単純な話ではない。本書を読むとこのあたりがよく整理されて理解できる。

 

本書の筆者は、過去に7年間の書店勤務経験があるらしく、随所に本への愛が感じられる非常によい本だった。同じ本好きの自分としては、「なんとかできないものかなぁ」と嘆かずにはいられない。