脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

『聞き出す力』:いい質問ができないのは、そもそも相手に興味がないからかもしれない

特に誰かから何かを聞き出す予定はないのだけど、なぜか先日こんな本を読んだ。

聞き出す力

聞き出す力

 

著者の吉田豪さんはインタビューのプロで、過去に多数の芸能人やスポーツ選手にインタビューを行ってきた方だ。ここ数年はテレビへの露出も多く、「情熱大陸」の出演経験もある。「ビートたけしのTVタックル」に出演した時に、人違いでビートたけしから収録前に恫喝され、顔面蒼白の状態で収録に臨んだというエピソードが密かに有名だ。

 

ご本人も書いているように、本書は阿川佐和子の『聞く力』の便乗本として出版されたものなのだが、これが便乗本とは思えないほど面白かった。タイトルはハウツーっぽいが、内容としてはエッセイに近い。なので、僕のように特に誰かにインタビューをする予定がないという人にもおすすめできる。即効性がありそうなテクニックはあまり載っていないので、必要に迫られて誰かにインタビューをしなければならなくなった人は読んでもちょっと間に合わないかもしれない。もっとも、中長期的にはかなり役立ちそうな話がたくさん載っている。

 

本書を読むとわかるが、吉田氏のインタビューの基本方針はシンプルだ。それは、取材相手のことを好きになり、本当に自分の興味があることを聞く、ということ。王道だが、これ以上に効果的な方法はないのかもしれない。結局、相手に興味がなければいい質問などできないのが普通だからだ。

 

もちろん、相手のことを好きになるための努力もする。たとえば、事前にその人のブログや著書を読んだりして、その人の「好きになれるところ」を徹底的にさがす。また、嘘は絶対につかない。面白くない話を「面白い」とは絶対に言わないし(ただし「面白くないです」とも言わないあたりが巧妙だと思う)、既に他所で聞いたことがある話が出た場合は「僕もその話、大好きなんですよ」という言い方で新しい話を引き出すべく誘導する。読めば読むほど、なるほどプロインタビュアーという肩書に偽りはないなと思わされた。

 

僕もごくたまにインタビューを受ける機会があるのだけど、その時によく「あ、この人はたぶんこういうことを言ってほしいんだな」とインタビュアーの意図を感じることが少なくない。インタビュアーの頭の中では既に書きたい記事のが構成が出来上がっていて、その記事に僕のコメントを賛成意見/反対意見の一部としてはめ込みたいのだろう。でも、これって本当にインタビューをする意味があるんだろうか? 仮に僕が記事にはめ込みづらい話をした場合は、また別のはめ込みやすい意見を言う人に話を聞いて、はめ込むのかもしれない。そう考えると「取材をして書いた」といったところで実際には記者の作文であるという記事は世に溢れているのだと思う。

 

本書ではこの点も指摘されている。吉田氏は、このインタビュアーが事前に相手の答えを予想してくることを「意味がない」と言っている。インタビュアーとして大事なのは、予想と違った展開になった時にどれだけアドリブでうまく対応できるかであって、予想と違った展開になった時にそれを不満に思うのはよくない、とのこと。こういう姿勢でインタビューをする人が増えれば、世にあるインタビュー記事も面白いものがもっと多くなるのだろうと思う。

 

1セクション4ページでサクサク読めるが、思いのほか学びの多い本だった。

 

ちなみに、本書の続編も発売されている。推薦帯は恫喝事件を起こしたビートたけし。これだけ見ると、ビートたけしの書いた本みたいに見える。こちらには清原の話とかが載っていて面白い。

続 聞き出す力

続 聞き出す力

 

 

会社員には「長時間労働をする自由」など必要ない

電通の過労死事件を受けて、長時間労働についての議論がいま盛んになってきている。そんな流れの中、こちらの記事を読んだ。

 

www.outward-matrix.com

 

長時間労働の是非」について議論をしていると、このように「残業をしたくてしている人の自由まで奪うのはおかしい」という意見がほぼ必ずと言ってよいほど出てくる。理屈としては理解できない部分もないわけではないのだけど、残念ながらこの意見には賛成できない。

 

この手の意見を要約するなら「長時間働きたい人には長時間働く自由を与えて、残業したくない人は残業しない自由を与える。自分の意志で自由に働き方を選べるようにすべきだ」といった感じになるかと思う。なるほど、たしかに自分の意志が最大限尊重されるという点ではかなり良さそうだ。しかし、本当にそんなことは可能なのだろうか?

 

まず第一に、「自分の意志」を外から推し量ることの難しさを考慮する必要がある。会社から、あるいは周囲から残業をするように無言の圧力をかけられて、「◯◯さんは自分の意志で残業をするんですよね?」と言われて「いいえ、僕は自分の意志で残業するのではありません。帰ります」と言える人が果たしてどれだけいるのだろうか。

 

昔、とあるコンサル会社が労基署に睨まれたため、社員に「◯時以降はすべて自己研鑽のために自由意志で会社に残っています」という書類にサインさせたという話を聞いたことがあるが、このように自由意志は簡単に捏造されてしまう。そういえば、しゃぶしゃぶ温野菜のブラックバイト裁判でも、店側は被害にあったAさんについて「Aさんは自主的に店に来て、店長の制止を振り切って働いていた」という主張をしていた。都合が悪くなると、会社はすぐに「社員が自主的にやっていたことだ」という言い訳を使う。会社と社員の関係において、社員の自由意志を証明することは不可能だ。

 

blackbeitunion.blog.fc2.com

 

また、会社における仕事の大半は複数人でするものである。1日16時間働きたいという長時間労働を前提とする人間と、1日8時間で定時帰宅を前提とする人間が協調して働くのは残念ながらかなり難しいと言わざるをえない。労働時間に対する基本スタンスが異なる複数人が協調して働く場合、日本の会社ではたいてい、一番長い人に合わせることになる。仕事の多くが個人の範囲に閉じていない以上、「長時間労働をするのは個人の自由」という主張は成り立たない。必ず周りの人間を巻き込むことになる。

 

思うに、会社員の長時間労働を禁止することで労働者が被る被害はかなり少ない。残業を禁止しても週40時間は普通に働けるわけだから、勤労の自由は確保されている。もっと働きたいというのであれば、会社員を辞めて独立する自由もあるし、空いた時間で副業をする自由もある。仕事そのものは禁止されても、空き時間に仕事のための勉強をする自由までは制限されていない。残業完全禁止社会は、ディストピアとは程遠い。

 

生産性の面で言えば、残業禁止はかなりの改善効果が見込めると僕は考えている。会社には無駄な会議や無駄な仕事が山ほどある。時間を強制的に区切ることで、これらの無駄が最適化される契機になる。そもそも、1日8時間というのは冷静に考えてみるとかなり長い時間だ。これだけ時間があって足りないというのであれば、それは仕事のやり方がおかしいか、仕事の量がおかしいかのどちらかに決まっている。残業禁止はその手の歪みを適正化することになるだろう。

 

そもそも世の中の流れとして、単純な知的作業すらAIによる機械化が進もうとしているのだから、仕事の時間が短くならないというのはおかしいだろう。長時間労働の撲滅」を目指す署名活動は極めてまっとうな活動で、賛同しない理由はない。会社員にはもう「長時間労働をする自由」なんて必要ない。定時になったら家に帰る――そういう極めてあたりまえの生活を、取り戻そうではないか。

 

www.change.org

 

定時帰宅。~「働きやすさ」を自分でつくる仕事術~

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