脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

入社して数年たってから仕事が面白くなるのは個人の成長とは無関係

一週間ぐらい前に話題になっていた記事。

 

株式会社ヨドバシカメラ の人事ブログ:新入社員が退職した。(前編)

株式会社ヨドバシカメラ の人事ブログ:新入社員が退職した。(後編)

 

読むのが遅くなり少し話題に出遅れた感があるのだけど、やはり読んでいて思うところがあったので書くことにする。

 

元記事はヨドバシカメラの人事のブログで、入社10日目にして退職を決意した新入社員に対して「楽しさを理解するには練習と経験が必要」とゲームや部活動の練習を例に出して説明している。「ちょっとやってみただけで『つまらない』とか『自分には向いていない』っていうのは、早すぎ」であり、そういう態度で仕事を転々としていくようでは、今後も幸せな職業人生は送れないだろう、というのがおそらくこの記事を書いた人の言いたいことだと思われる。

 

たしかに、「入社した際は仕事がまったく楽しくなかったが、数年経過してようやく楽しさが実感できるようになってきた」という話は割と耳にすることが多い話だ。こういうことがあること自体は、僕も認める。しかし一方で、このような「入社して数年たってから仕事の楽しさがわかってきた」という話を、練習と経験の成果、つまり個人の成長にのみ還元して語るのは正しくないと思っている。

 

日本の会社の場合は、別に個人が成長しようとしまいと、古株になればそれだけで働きやすくなる。基本的に、理不尽は一番下っ端である新入社員に集中する。飲み会の幹事をさせられたり、本業とは関係ない雑用をやらされたり、アホらしい根性論を学ぶための研修に参加させられるのも新人の時期がいちばん多い。こういう時期をやり過ごす、つまり「我慢」することができればそこそこ仕事は楽になり、中には楽しいと思うことも出てくる。それを練習と経験によって個人として成長したからだ、と考えるのは間違いだ。元記事と同じようにゲームでたとえるなら、日本の会社の多くはハードモードからはじまって徐々に難易度が低くなっていくように設計されているのである。

 

これは体育会系の部活動とも構造が似ている。1年生は球拾いや基礎トレーニングばかりで試合にも出してもらえず、まったく面白くない。一方で、3年生は最高学年なので試合にも出られるし、球拾いのような意味のない練習はさせられない。だから割と楽しいと感じる。では、1年生が3年生になるためにはどうすればいいのか?それは球拾いや基礎トレーニングを極めることではなくて時間の経過を待つことだ。それは個人の成長とは関係なく、時間が経てば手に入る。逆に、どんなに球拾いがうまくなっても1年生のうちは3年生の出るような試合には余程のことがない限り出られない。

 

もちろん、ありとあらゆる会社がそうだというわけではない。たとえばベンチャー企業とかだと、悠長な部活動型成長擬制システムを取る余裕がないので、入社早々に現場で大きめの仕事を任せられることもある。そういう会社だと、入社直後でもう「仕事が楽しい」と感じる人もいるに違いない。「どんな仕事でも、楽しくなるまでには最初に必ず我慢や忍耐が必要である」という命題はたぶん正しくない。

 

個人的な意見としては、我慢や忍耐は自分自身で見通しがたしかだと思える場合にだけ受け入れればよいと思っている。つまり、「この忍耐が将来役に立つ」ということを自分で確信できる場合には、そういうものに張ってもいい。元記事の入社10日で退職を決意した新入社員の方は、そういう未来が今の仕事の先にはまったく見えなかったのではないだろうか。そうであれば、無駄に我慢するよりも、もっと見通しがいいものを探すという選択もアリではないだろうか。

 

もっとも、「公務員を目指す」というのは僕も安易だなあとはちょっと思う。「公務員」こそ、この部活動型成長擬制システムの典型だからだ。詳しい事情を知るわけではないので、これ以上その人の進路について語る資格はないのだけど。

 

リアル公務員

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