脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

ニートは憲法違反なのか?

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日本国憲法の27条1項には、勤労の権利と併記する形で、勤労の義務規定されている。

 

27条
1.すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 

 

この規程を根拠に、ニート憲法違反だ!という主張を繰り広げる人がたまにいる。例えば、ワタミ渡邉美樹社長は、テレビでこの条文を根拠に、ニートよ働けと主張していたらしい。

 

法学部出身の方ならよくご存知だと思うが、このような主張は憲法というものを理解していない人がよく陥る誤解である。日本国民はこの憲法27条1項の規定に違反したからといって警察に捕まるようなことはないし、そしてまたそのようなことはあってはならない。

 

そもそも、憲法とは何なのだろうか。一言でいうと、国民が国家権力を制限するための法である。歴史的に、国家はその権力によって、国民の人権を侵害することが多かった。そのようなことが無いように、国家の暴走を食い止めるのが憲法の役割である。

 

憲法はこのように、「国家に対する」義務を課したものであり、これに違反するのはもっぱら国家である。だから、そもそも国民は憲法に書かれた内容を遵守する義務も擁護する義務もない。このことは、例えば憲法99条を見てもらうと分かる。

 

99条
天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法尊重し擁護する義務を負ふ。

  

99条には、憲法を擁護する義務を負う主体が列挙されているが、ここに国民は含まれていない。これは、国民が憲法擁護義務を負わないことの現れである。例えば、AさんがBさんに対して差別を行ったとしても、これを憲法14条法の下の平等)を根拠にして処分したりすることはできない(巨大な私企業対一個人の間で、憲法問題を含む争いが生じた場合に、憲法の趣旨を考慮するという形で、憲法規定を間接的に適用することはある。本筋と外れるので詳しくは書かないが、興味がある人は『私人間効力』や『三菱樹脂事件』などのワードで調べてみて欲しい)

 

では、27条1項の勤労の義務に関する規定は、一体何なのだろうか。対国家規範である憲法に、国民の義務に関する規定があるのは本来であればおかしい。ゆえに、これは法的拘束力が一切ない努力義務の規定であると解されている(こういう規定のことを「プログラム規定」という。スローガンのことだ)。だから、これを根拠に国家に強制労働を課せられるようなことは憲法の性質上ありえないといってよい。

 

本来は対国家規範であるはずの憲法に、勤労の義務のような国民の義務に関する規定が入ってしまった理由は諸説ある。一説によると、戦争に負けて、焦土と化した日本を復興させるために、みんなで努力していこうという気持ちを込めて、この規程が入れられたそうである。そうだとすれば、もう十分復興したのだから、役目を終えたと考えても差し支えないだろうと僕は思う。

 

以前、「日本国憲法には勤労の義務が明記してありますが、これも削除した方が良いとお考えですか?」というコメントを書いてきた人がいるけど、僕の答えは「Yes」だ。自由主義的な憲法に、この手の義務規定は相応しくない。こういうことを憲法規定するのは、社会主義国がやることだ。

 

憲法が対国家規範である、ということは日本国憲法の思想を理解する上でもっとも基本となる部分なので、僕はこういうことを中学校の公民の時間にもっと強調して教えるべきだと思うのだけど、どうもそうはなっていないようだ。お経のように国民の三大義務を暗唱させたり、戦争放棄が9条だ、とだけ教えても、それは憲法を理解することにはならない。

 

とりあえず、ニートの方々は勤労の義務違反で連行されたりすることは無いので安心して欲しい。

 

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