脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

幸せになるために必要なお金は、人それぞれだという事実

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イケダハヤトさんのブログに、なかなか興味深い記事が投稿されていた。

 

貧乏=自由|ihayato.news

 

たしかに、そんなにお金を必要としない、貧乏でも幸せになれるタイプの人が、必要以上にお金を稼いでも、自由な時間が減って逆に不幸になるだけだろう。お金があることが、必ずしも自由を意味しないということに、この記事は気づかせてくれる。 

 

ただし、僕はこの方法で、世の中の全員が全員、自由になれるとは思っていない。イケダさんの記事には、独身だったら都内で年収150万円で暮らせる、ということが書いてあるけど、これに頷ける人ばかりではないだろう。「年収150万円だったら、ギリギリ暮らしていけるかもしれないけど、何度も飲み会に参加したり、旅行に行ったりすることはできないから、やっぱりそれは自分にとっては自由ではない」という価値観の人も、当然いるはずだ。

一方で、 イケダさんの書くことがとてもしっくり来るという人もいるだろう。僕もその1人だ。僕は図書館で本を借りて読んだり、TSUTAYAで100円の旧作映画を借りて見たりすることができれば幸せなので、そんなに「お金が欲しい!」と思ったことはない。だから、1年150万円で暮らしても、幸福度が下がるとはあまり思えない。仕事でたくさんお金を稼げだとしても、仕事が忙しくなりすぎて本を読んだり映画を見たりする時間がなくなってしまうのだとしたら、自分にとってはそちらのほうが不幸なことだ。

結局、これは各人の価値観の問題だと僕は思う。「自分が仕事にどのくらいの時間を使ってどのくらいのお金を得たいか」といったことは、その人の人生観などで決定されるべき問題で、「こうあるべき」と誰かが一律に決めるようなことはあってはならない。

そして、問題なのは、日本社会ではこの多様性があまり尊重されていないということだ。「正社員として1つの会社に所属し、週に5日間働いて、月数十万円の給料を安定的にもらうこと」がスタンダードであり、それ以外の生き方は邪道である、という空気がやはり日本にはある。この空気に負けて、「お金よりも自由な時間のほうが大事」と本当は思っているのに、疑問を抱きながら週に5日間、みっちり仕事をする生活を送っているという人もいるのではないだろうか。

戦後の高度経済成長期あたりなら、年収が上がればそのまま生活の質が向上して、幸福度もそれに比例して上昇していたかもしれないが、ほぼ成長しきってしまった現代日本では、年収を上げることがそのまま幸福度の上昇につながるとは必ずしも言えない。そろそろ各々の価値観を尊重した、多様なライフスタイルを受け入れるような社会を構築するフェーズに来ていると僕は思う。

その方法は、ベーシックインカムなのかもしれないし、あるいは福祉を充実させた上で正社員という概念を撤廃することなのかもしれない。これについては、よく議論をしながら探っていくことだとは思う。1つだけ言えるのは、今の状態の延長戦上に、明るい未来は待っていないということだ。

各人が自分の価値観に基づいて、仕事の仕方を自由に選べるような社会になることを、僕は強く願っている。

 

貧乏という生き方

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