脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「そんなんじゃ社会で通用しないぞ」←社会って何?

スポンサーリンク

新入社員や若手社員に対する説教の決まり文句に、「そんなんじゃ社会で通用しないぞ」というのがある。僕はこの文句も、こういうことを言う人も好きではない。

 

以前、「社会人」という言葉の違和感について書いたが、この文句にはそれと同じものが感じられる。この場合の「社会」という言葉は、実際の社会を意味しない。せいぜい「自分の会社」であり、大抵の場合は「自分の部署」である。「そんなんじゃうちの会社では通用しないぞ」とか、「そんなんじゃうちの部署では通用しないぞ」と言うべきことを、「そんなんじゃ社会で通用しないぞ」と盛って言っていることがほとんどだろう。たまたま、その組織の慣習や、やり方が合っていなかったというだけのことに対して、社会生活不適合者のような烙印を押すのは感心しない。

 

そもそも、「社会で通用しない」というのは曖昧で、こういう説教には意味がない。具体的に、どういう能力が足りなくて、そのままだとこういった点で問題が起きる可能性がある、ということまで示さなければ、意味のあるフィードバックにはならない。結局のところ、よくわからない精神論に落ち着いてしまい、社畜の皆さんが大好きな「自己成長」もできずに終わるのではないだろうか。すぐに「社会」とか「社会人」という言葉を持ちだして説教をする人は、基本的に信用すべきではないと僕は思う。

 

僕は、会社員生活が長くなって、こんな風に「自分の会社」や「自分の部署」が「社会」になってしまっている人を見ると、ものすごく残念だなぁと思う。社会というのはもっと多様で、日本だけでも色んな生き方をしている人がいるし、世界を見ればそれこそ考えもつかないような生活を送っている人たちがたくさんいる。会社に雇われて、毎日満員電車に乗って同じ時間に通勤し、残業をして帰るという生活だけが、社会生活を営むということにはならないはずだ。「社会で通用しない」という言葉を他人に使うのは、自分の狭量な価値観を他人におしつけているだけで、みっともないとすら思う。

 

もし、「そんなんじゃ社会じゃ通用しない」という説教をされて、落ち込んでいる人がいるとしたら、そんなに気に病む必要はないとアドバイスしたい。あなたが通用しないと言われたのは実際には「社会」ではなく、せいぜい「あなたの会社」か「あなたの部署」という狭いコミュニティの中に限られた話であり、転職をしたり、部署異動などをすれば十分通用するようになる可能性もある。仮に、会社員生活が向いていなかったとしても、他の方法でも生計を立てる途はある。誰にだって向き不向きはあるのだから、自分にとって一番向いていると思う場所で、向いていると思う生き方をすればそれでいいのだと思う。

 

「そんなんじゃ社会で通用しない」と言われても、怯んではいけない。その人の考える「社会」で通用しないなら、通用する「社会」を探せばよいだけだ。

 

 

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)