脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「使える」とか「使えない」とか、そもそも人間はモノじゃない

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日本の会社では、社員の能力を表現する際に「あいつは使える」とか「あいつは使えない」といった表現がなされる場合がある。

 

僕は、この言葉には子供の頃からずっと違和感があった。「子供の頃から」と書いたのは、僕の父がたまに会社の愚痴をこぼすときに、こういう表現をしていて、子供ながらにすごくイヤな気持ちになっていたからだ。人間に対して、「使える」とか「使えない」という言葉を何の抵抗もなく使用する大人たちを見て、人はモノじゃないのに、なんで「使える」とか「使えない」とか、そういう言葉を使うんだろうと思ったことを覚えている。モノであれば、使えなくなったものはそのまま捨てられることになる。じゃあ人間も、「使えない」場合には捨てられるんだろうか。大人の世界はものすごく怖い――幼い僕はそんな風に感じた。

 

もういい大人になって、実際に働くようになった今でも、人に対して「使える」とか「使えない」という言葉を用いるのには抵抗がある。巷では、「使える人材になるためにはどうすればよいか」といった本もたくさん出ているし、新入社員に対して「みなさんが、一刻もはやく使える人材になることを願っています」といった励ましをする人も少なくない。こんな風に、人に対して「使える」「使えない」という表現をしているところは割とたくさん見かけるので、僕ほどこの言葉に違和感を感じている人はいないのかもしれない。しかし、僕自身はこういう表現をしたいとは思わないし、「あいつは使えない」とか言っている人を見ると、「酷いこと言いやがるな」と思ってしまう。

 

人に対して「使える」「使えない」というようなモノに対して使用する言葉を使うのは、相手が一人の人間であるということを軽視する結果につながりはしないだろうか。同様の理由で、「人材」という言葉も僕はあまり好きではない。こういった言葉で表現されると、人に対する敬意のようなものが、まったく感じられなくなってしまう。会社と社員の間の主従関係のようなものが必要以上に強調され、社員なんて所詮は交換可能な歯車だ、という印象が強くなる。

 

そもそも、人間を「使おう」と考えるのは不可能だと思ったほうがいい。恐怖政治のようなやり方で人の行動を強制することはできるだろうが、そんなやり方は長くは続かないし、そういう方法で、人間は100%のパフォーマンスを発揮することはできない。人に動いてもらおうと思うのであれば、「敬意」をもって接するのが一番だ。敬意をもってお願いされれば、お願いされた人のために尽力しようという気持ちにもなる。同じことを命令される場合に比べて、やる気は大きく違ってくる。

 

人間はモノじゃないのだから、「使える」とか「使えない」という表現をするのはもうやめにしたらどうだろうか。上司と部下であろうと、先輩と後輩であろうと、人間と人間の関係であるということは絶対に忘れてはならないことだと僕は思う。

 

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