脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

従業員目線と経営者目線の両方を求められる日本の職場

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東京大学中原淳先生のブログにあった以下の記事が、少し前に話題になっていた。

 

仕事を振ると「なぜですか?」と問われる : 「意味や理由」を求める若い世代!? にイラつく理由
http://www.nakahara-lab.net/blog/2012/11/post_1902.html

 

この記事は、上の世代が若者の「なぜ?」にイラつくメカニズムを考察したものなので、「なぜですか?」の問いを若者が発することに対してや、あるいはそれにイラつく上の世代を批判するものではない。僕自身は、若い世代に含まれる(と自分では思っている)ので、「お前は考えなくていいんだ、言われたことをそのままやっていればいいんだ」という上の態度には断固反対の立場を取りたいが、その話は今回は置いておく。これを読んでまず思ったのは、このような話題が出てくる程度には、まだ「お前は言われたことをやってればいいんだ」的な暴論が罷り通る職場がたくさんあるということだ。

 

この、「理由なんて考えなくていい、とにかく上の命令をこなせばいい」というのは、若手社員に対して徹底した従業員の立場、つまり使用者に使用される者としての立場を強要するものと考えてよい。これによって、純粋に労働が「使用者の言われた通りの仕事をして、それに対する対価をもらうこと」と再定義(再確認?)されるのであれば、このこともそんなに酷い話ではないと僕は思う。労働の契約的側面が強化されれば、無限定に責任を問われたり、無茶な目標にコミットさせられて法外な時間外労働に従事させられることもなくなる。働きかたの一形態として、こういう選択があってもいいだろう。

 

ただ、日本の職場では不思議なことに、この従業員目線の立場と同居する形で、経営者目線で考えたり行動することを求められる場合が多い。例えば、今は会社が危機的だから頑張って売上を戻しましょうとか、コストがかさんでいるのでしっかりコスト意識を持ちましょうとか、末端の従業員まで経営者目線を持って、会社の利益のために必死に働くことを求められる。

 

一方では「言われたことを言われたとおりにやれ、命令に従え」と従順であることが求められ、もう一方では経営者と同じ目線を持ち、会社の業績を気にする立場としての行動を求められる。この奇妙な捻れが、日本の「社畜的な」仕事観を形成する理由になっているんではないか、と僕は考えている。現在の日本の職場では、会社にとっては都合がいいが、従業員にとっては都合が悪い考え方を従業員に強制する際には「経営者目線」で考えることが求められ、それ以外の場面では徹底した「従業員目線」で考えることが求められているように感じる。言わば、従業員目線と経営者目線の、ダブルスタンダードが会社にとって都合のいいように採用されている。

 

ひとつ言えることは、従業員が過度に経営者目線を持つ必要はない、ということである。もちろん、仕事の意味や理由を認識することは重要なことだとは思う。ある程度は、自分事として仕事をしたほうが面白いこともあるだろう。しかし、あなたが今いる会社で働いているのは、いまその会社とあなたが契約関係にあるからに過ぎず、あなたがその会社を創業したわけでもなんでもないので、必要以上に自分事として捉え過ぎるとバカを見ることになる。会社が傾こうが、潰れようが、それはあなたの人生とは何ら関係がないことである。会社を立て直すためにあなたが身を粉にして努力する必要は無いし、そんなことをしても給料が劇的に上昇するわけではない。

 

一介の従業員の分際で、経営者目線を持ちすぎるのは危険である。それは働き過ぎを招くことになりかねないし、そんなことをしても報われることはない。「給料分はたらく」という大原則は、どんなときにも忘れないようにしたいものである。

 

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