脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

明らかに高望みし過ぎている企業の「求める人材像」

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会社の採用ページを見てみると、「求める人材像」なるものが書かれている場合がある。そこには、「コミュニケーション能力」だとか「グローバル視点」だとか、「粘り強さ」とか、立派なことがいくつも列挙されている。例えば、以下は花王の採用ページに書いてあった求める人材像である。

 

花王の求める人材像
1.自ら革新することに挑戦し続けられる、チャレンジを続けられる人材
2.職務や役割に応じた、高度な専門性を身につけ、エンプロイアビリティーがあり、環境変化に強く、自らを律することのできる、高い専門性を持った人材
3.グローバルな視点を持ち、世界の多様な技術や仕事の仕方に目を向け、学び、実践する、国際感覚豊かな人材
4.双方向の対話に努め、協働による高い成果を生み出すことのできる、チームワークを大切にして、協働で成果をあげる人材
5.価値観を共有でき、倫理観に富む、高い倫理観を持った人材

 

ものすごく立派だ。これをすべて満たすような人であれば、どんな企業であっても採用したいと思うであろう。

 

もっとも、このような人格高潔で、ドラえもんで言えば出来杉君のような存在の人物を、あなたは実際に見たことがあるだろうか。僕はほとんど見たことがない。東大にもこんな人は数えるほどしかいなかったと思う。はっきり言って、高望みし過ぎである。

 

では、花王の例だけが特別に高望みし過ぎなのかというと、決してそんなことはなく、企業の採用ページの求める人材像には書き方は違っても上記と同じようなことが書かれている。特に、新卒採用の場合はぼんやりとした抽象的な能力がひたすら並んでおり、これを全部満たすような人はイデア界以外には存在しないだろう思わずにはいられない。

 

「求める人材像」に掲げたような人たちばかりで組織を構成できるのであれば、確かに強い組織になるだろうが、そんな人は日本にそう何人もいるわけがない。Googleのような超優良企業ならともかく、そのあたりの一般企業がこういった高望みをしてみたところで、どうしようもないというのが現実ではないだろうか。

 

こういった、明らかに望み過ぎな「求める人材像」を見るたびに僕が思い出すのは、「年収は絶対1000万以上じゃなきゃ結婚したくない、パートに出るのは絶対イヤ、専業主婦希望」などと身の丈に合っていない条件を提示して婚活に没頭している女性である。企業の「求める人材像」は、基本的にこの手の婚活女性と大差ないと考えてよい。こういった人たちがいつまでたっても結婚できないように、この手の「求める人材像」を掲げていたのでは、いつまでたっても真に会社に必要な人材は採用できないだろう。

 

こんなありえない高望みをしたところで、学生はこれらの能力があるように見せるために「自分を偽る」ようになるだけである。就活で自分を偽っても、学生・企業双方にとって何らいいことはない。そうなるぐらいだったら、「求める人物像」なんて、掲げないほうがマシではないか、と僕は思う。

 

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