脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「どれだけ残業したか」で社員を評価しようとする残念な職場

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日本の職場で働く多くの人は気づいているとは思うが、会社が社員を「正当に」評価するというのは現実にはかなり難しい。年功序列の会社では、生み出した価値に関係なく社歴によって給与が決定されるし、成果主義を謳う会社であっても、大抵の場合はよくわからない評価基準によって結局は相場の額に落ち着いてしまう。

 

このように、社員の評価は非常に困難を伴うが、僕がもっとも悪だと思うのが、「どれだけ残業・休日出勤をしたか」といった時間外労働の量によって社員の「頑張り」を擬制し、それによって社員を評価しようとするものだ。

 

会社は周囲と協同して仕事をする場ではあるが、他人がいまどんな仕事をしているのか、ということは完全にはわからない場合がほとんどだ。たとえ自分の部下であっても、仕事の量、その詳細な進捗、仕事ぶりを完全に把握することは難しい。ゆえに、頑張っているか頑張っていないか、ということを評価する時には、どうしても「遅くまで残業している」「休日も会社に出ている」という人たちが、頑張っているとみなされてしまいやすい。

 

しかし、現実にはダラダラと仕事をやって遅くまで残っているというケースだってある。一方で、ものすごく密度の高い仕事をこなして、定時内にきっちり仕事を終えているという人もいるだろう。「残業をしていない」という事実のみで、その人が頑張っていないと評価することは、どう考えても正しくない。

 

残業をしないと仕事を真面目にやっているとみなされない、という空気が一旦組織内でできてしまうと、様々な弊害が発生する。労働時間が長くなるので社員の健康は害されるし、「残業しないと仕事をしたと認められない」ということになれば、業務時間内に仕事を終わらせよう、というモチベーションは完全になくなる。これによって業務の効率化は行われなくなり、生産性はどんどん下がっていく。これでは社員だけでなく、会社にとってもいいことはない。

 

小学校の時などは、放課後まで居残り勉強をさせられている人は基本的に勉強ができない人ということになっていたと思うが、なぜか会社員になると、居残りをしている人ほど評価されるという不思議な現象が起きる。こういう風になってしまっているのは、そもそも「定時」という概念が定着していない会社が多いことと、プライベートを潰して会社に「奉公」している割合が多い人を評価する、という不合理極まりない評価軸が多くの会社で採用されていることに原因があると僕は思っている。

 

このブログでは何度も書いているし、何度でも書こうと思っているが、残業というのは例外であって、定時が原則のはずである。原則通りの行動をしても全く評価されず(時には常識がないと批難までされ)、例外的な行動して初めて評価されるというのは、絶対に間違っている。「残業をした」から頑張っているとか、「残業をしていない」から怠けている、協調性がない、というのは明確に間違った考え方だ。

 

残業で人を評価するのはもうやめにしよう。残業は頑張りのバロメーターではなく、組織内で問題が生じていることを示すサインだということに、もっと多くの人が気づかなければならない。