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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

現代の師は、師走でなくても忙しい:教員というブラックな職業

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今日は仕事納めである。忙しかった「師走」も、とりあえずこれで一段落、という方も多いことだろうと思う。

 

ところで、「師走」という言葉は、一説には「師匠でさえも、走り回るほど12月は忙しい」ことに由来するという。逆に言えば、12月以外は師匠は忙しくない、ということになる。師匠は現代風に言えば教員ということになると思うのだが、では教員は12月以外は暇をしているのかというと、実際にはとてもそうは思えない。例えば、次のようなニュースが数日前少し話題になっていた。

 

精神的病気で休職の教員5000人超 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121224/k10014398451000.html

 

教員という職業が、ブラックであるという指摘は、度々なされる。もちろん、職場によるだろうし、中には職務放棄をしてるんじゃないか、と言いたくなるような教師も存在するのは事実だ(僕も実際、そういう人を小中学校で見たことがある)。そのような例外は除くにしても、教員という職業の負担は基本的には大きい。ざっと考えて、授業、担任業務、生徒の進路指導などなど、仕事は山積みである。部活動の顧問をやれば、土日も潰れる。最近は、モンスターペアレントとか呼ばれる残念な人達までいて、このニュースのように、精神的に追い詰められてしまう人が多いのも頷ける。決して、ホワイトな職場とは言いがたい。

 

僕は、教員がブラック化することは、教員のためにならないだけでなく、生徒の職業観形成という観点からも、よくないことだと考えている。日本の教師は、それこそ生徒と学校運営に関することであれば、授業に限定されず何でもさせられる。仕事の責任範囲はおそろしく広い。こういった働き方をしている教師という職業を普段から見ている生徒は、「働くこと」とそれに伴う「責任」について、必要以上に広く捉えてしまう可能性がある。

 

日本において教員はジェネラリストであることが求められるが、もっとスペシャリスト的な職業に再定義したほうが、僕はよいと考えている。具体的には、教員の職務を「授業のみ」に限定する。担任業務も部活の顧問も、進路指導も基本的には行わない。これらの業務は、それ専門のカウンセラーやスポーツインストラクターが行うものとする。教員は、生徒の成績不良や授業進行についてはある程度責任を負うが、素行や進路、部活動の業績などについての責任は負わない。それらの責任は、別途それぞれの専門家が仕事の範囲に応じて負う。このように、仕事の範囲を専門化して責任範囲を限定すれば、教員の負担はかなり減るし、生徒に対しても「何でもかんでも、責任を負う」という悪い例を見せなく済む。

 

教師というのは、親の次ぐらいに身近な存在になりうるので、その教師が献身的でブラックな働きかたをしていれば、「働くことはそういうものだ」と生徒が思ってしまう可能性は十分あると僕は思う。逆に、教師が「自分の仕事が終わったらさっさと帰る、自分の仕事の責任範囲に含まれないことについては一切関与しない」というある意味割り切った働き方をすれば、生徒もそういう仕事観を身につけやすいはずだ。生徒を将来会社の奴隷にしないという観点からも、学校で働く人たちは、基本的に仕事の奴隷であってはならない。

 

現代でも、師匠はやはり走り回ったりせずに、どっしり構えて教えることだけに専念して欲しいと僕は思う。

 

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