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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

天気のいい日は会社なんか行かずに散歩に行きたい

仕事観
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最近は寒い日が続いていたが、今日は一転して気温が高く、なかなか気持ちのよい土曜日である。こういう日に、散歩に出るとなかなか楽しい。僕が大学時代からしつこく住み続けている文京区は散歩の名所で、たとえば谷根千のあたりは下町っぽい街並みで歩いていてとても気持ちがいい。漱石の作品を読むと、登場人物たちがこのあたりを散歩している描写がよく出てくるので、その軌跡を辿るというのも結構面白い。

 

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もっとも、こういう贅沢な遊びが出来るのは、今日が土曜日で、会社が休みだからに他ならない。例えば、今日のような気候であったとしても、それが月曜日だったりすると、一日中オフィスの中で過ごして、天気の良さを実感することなく一日が終わってしまう。オフィスの窓から雲ひとつ無い快晴の空を見て、「あぁ、なんで俺はこんな天気の良い日に、ずっと部屋の中でPCと睨み合っているのだろう」と思ったことがある人も、たぶん少なくないのではないだろうか。

 

仕事をしている人の多くは、このことを「働いている以上は仕方がない」で我慢しているのかもしれない。でも、そんな簡単に諦めてしまってよいものだろうか。「天気のよい日は散歩に行きたい」という気持ちに逆らわないことは、「人間らしい」働き方をするという上で、結構重要なことだと僕は思う。季節や天気のことを意識せずに、室内にこもって朝から晩まで働き続けるというのは、自然の理に大きく反していて、「人間らしい」働き方とは僕には到底思えないのだ。

 

僕はこの話を、だから会社員はダメでフリーランス最高、といった主張に繋げたいわけではない。むしろ、「会社員」であっても、天気のよい日は散歩に行けるような、そんな柔軟な働き方が許されるような社会になって欲しいと願っている。現代の日本だと、時短勤務や変速勤務は、子育てや介護といった大義名分がなければなかなか認められないし、裁量労働制という仕組みの多くは、単なる残業代不払いのための方便として使われてしまっている(裁量労働制については、思うところがあるのでそのうち別に書きたい)。「今日は天気がよいので散歩に行きたいんで休みます」なんて言った日には、「甘えるな」とか「社会人失格」といったような、お決まりの言葉の集中砲火が待っているのは間違いない。

 

学生の頃の話だが、ものすごく天気がよい日に「今日は天気がいいので休講にします」といって即効で講義を切り上げた先生がいた。学生が授業料を払っていることを考えると、この先生を責めるというのも論理的にはありうると思うが、僕は逆にこの先生を尊敬した。天気のいい日に、暗い室内で勉強をしているのはもったいない。仕事だって同じはずだ。別に大した理由がなくても、天気がいい日は散歩に行きたい。

 

これだけネットワークが整備されて、どこでも仕事ができるようになったのに、未だに満員電車に押し込まれて会社に行って、天気がよくても暗いオフィスの中で日が暮れるまで仕事をしなければならないというのは、何だかものすごく旧時代的だ。テクノロジーが進歩したら、働き方もそれ相応に進歩してほしいものである。

 

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