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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「死ぬほど働いた」ことを美化するな

仕事観
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ベンチャー企業の社員紹介ページなどを見ていると、たまに「死ぬほど働いたエピソード」が載っていて戦慄を覚えることがある。「会社に寝泊まりした」とか、「朝5時にミーティングをした」とか、「30連勤した」とか、こういったことをまるで勲章であるかのように語る人たちが、一部にいる。

 

この手の話は労働基準法違反をネットで高らかと宣言しているのと同じなので、例えばtwitterで未成年が飲酒自慢をするのと同じような感じで炎上してしかるべきだと思うのだけど、実際にはそうなっていない。それどころか、いわゆる「美談」として捉えられている場合が多い。「死ぬほど働きました、おかげで成長できました」というストーリーはもうお決まりで、「こんな感じで死ぬほど働いても大丈夫なやつ募集!」という会社側のメッセージが垣間見えて、こういうのを採用サイトに載せているのを見るたびに、嫌な気持ちになる。

 

確かに、例えば失敗しそうだったプロジェクトを、「死ぬほど働く」ことで蘇らせたという場合には、それを誇りたくなる気持ちもわかる。しかし、「死ぬほど働かなければ蘇らなかった」という点で、そういうプロジェクトは成功の中でも限りなく失敗に近いものと考えるべきだ。頑張った人に鞭打つのはいいことだとは思わないが、それでも「死ぬほど働いた」ことはいいことか悪いことかと言われれば、「悪いこと」である。

 

「死ぬほど働く」という表現は、実際大袈裟でもなんでもなく、過労死認定基準を超えて働けば、人によっては本当に死に至る。そういう危険な状況で働いて、「たまたま」その人は耐えられた、という特殊な話を「美談」として語るようなことはやはり避けなければならない。命を危険に晒してまで、仕事に打ち込んでいる状況は間違いなく異常である。こういう一部の特殊な人が称賛されると、「死ぬほど働けないヤツはいらない」という暴論にすら発展しかねない。

 

採用サイトを見ていていつも残念に思うのは、こういった「死ぬほど働いた」アピールは割とたくさんあるのに、「効率よく働いて毎日定時に帰っています」アピールは見たことがないということだ。仕事の「やりがい」とか「成長」をアピールするぐらいだったら、QOLの上昇を前面に出して採用活動を行ったほうが、優秀な人が集まりやすくてよいと思うのだが、そうではないのだろうか(もちろん、嘘を言えという意味ではない。本当に定時に帰れる職場だけが、そういうアピールをしてよいということは言うまでもない)。僕の実感として、「仕事が嫌いな優秀な人」というセグメントは間違いなく存在するので、こういう層に対してアプローチするというのは結構有効だと思う。

 

「死ぬほど働いた」ことが美談になってしまう構造の根底には、「働くことはよいことだ」という価値観が存在していると僕は思っている。この価値観の下では、「よいこと」である労働を「死ぬほど」やった人は、「死ぬほどよいことをやった人」ということになる。これはものすごくアホらしい。何事も過ぎたるは及ばざるが如しと言うし、そもそも「働くこと」が「よいこと」だとは言い切れない(参考:働くこと=社会貢献なのか)。

 

もう、「死ぬほど働いた」ことを美化するのはやめにしよう。「死ぬほど働いて」成果を出しても、それは決して誇れることじゃない。

 

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 補足記事:『「死ぬほど働いた」ことを美化するな』についての補足

 

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