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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

会社員は「選べない」ことばかり

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日本で会社員をすることの「苦しさ」は、どこから来ているのだろう、ということをぼんやりと考えていた。原因はもちろん複合的だと思うので、これだと1つに定めるようなことはできないのだが、1つ思い当たったのは、会社員は「選べない」ことばかりだ、ということだ。今日はこれについて少し書きたい。

 

会社員が自分で決められることは案外少ない。もちろん、どの会社に入るかは決められるが、そこから先は会社側の都合で勝手に決まっていく。そもそも自分が何の仕事をするのか、その仕事を誰とやるのかという基本的なところから始まって、一日何時間働くか、一週間の中で何曜日に休むのか、物理的にどこで働くのか、何時に出社するのか、仕事に使うPC・ソフト、会議の時間などなど細かいところまで、そういった物事は概ね会社都合で決まっていく。もちろん会社によっては、これらの事項を労働者側が決定できる場合もあるけど、会社員でありながらそんなに広い裁量のある働き方ができる人は、実際には少数だ。

 

こうやって「選べない」かわりに会社員が手に入れられるのが、安定的な給料と雇用である。もっとも、今はこれがかなりあやしくなっている。会社が長期的に安定して存続することなんて誰にも保証できないし、仮に会社自体は存続できても、自分がそこに残れるとは限らない。昔は、会社に恭順しても、それに見合うだけの見返りがあったのかもしれないが、今はその構造が崩れつつある。こういう状況でも、会社員は「選べない」ことばかり、という状態が続くのだとしたら、会社員という職業は昔に比べて相対的に価値が低下しているということになる。

 

現代向けにこの関係を再構成する1つの方向性として、会社が社員の人生を保証しないかわりに、今までよりも会社員が「選べる」ことを増やしていくという方法が考えられると思う。例えば、今までは会社の都合で仕事内容が決まっていた関係上、キャリア形成も結構運任せなところがあったが、今後は今まで以上に本人の希望を斟酌するなどの配慮が必要だろう。会社と社員が一生の付き合いではなく、一時的な付き合いにならざるをえない以上、人生に関わるようなコミットを会社が社員に求めることは、もはや正当化できないはずだ。

 

僕は、会社員というのは「パッケージ」だと思っている。全部自分で決めるのではなく、もう既にある程度の選択がしてあって、基本的にはそれをそのまま使えば多くの人には支障はでない。ただ、最近この「パッケージ」の内容が酷くなってきていて、もはや自分である程度カスタマイズをしないと、使い物にならなくなっている。それが現代の会社員というシステムなのではないだろうか。

 

もちろん、雇用契約という関係上、何から何まで労働者が仕事の手段を選べるというのは現実的ではない(それだと「委任」とか「請負」になってしまう)。ただ、だからといって何も選べない、言われたとおりにするしかない、というのは奴隷のようで辛い。今よりも、会社員が「選べる」内容が増えればよいと僕は思っている。

 

選択の科学

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