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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

『「死ぬほど働いた」ことを美化するな』についての補足

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数日前のエントリ「死ぬほど働いた」ことを美化するなに対してこんなご意見をいただいた。

 

「死ぬほど働いた」ことを美化するよ。
http://enator.hatenablog.com/entry/2013/02/08/104009

 

以前、ブラック自慢、残業自慢はみっともないというエントリを書いた時にも、似たようなご意見を頂いたことがあるので、このあたりでちょっと補足しておこうと思って筆を執った。

 

大前提として誤解の無いように言っておくと、僕は「死ぬほど働かされた」ことや「会社がブラックであること」に対する「愚痴」を言うことは何ら問題ないと思っている。かく言う僕も、今は会社勤めをしているので、会社がおそろしく忙しくなるような時はやはりあって、これに対して周囲に愚痴をこぼすことはある。

 

冒頭で挙げたエントリを書いた方は、『「死ぬほど働いた」ことを美化するよ』と題してはいるものの、内容は決して美化ではなく、どちらかというと「愚痴」の方面に思える。

 

僕が批判したいのは、「死ぬほど働かされたことに対する愚痴」ではなく、例えば次のような主張だ。

 

私が以前いたプロジェクトでは、毎日終電まで、時には会社に泊まりこんで、本当に死ぬほど働いた。とても辛い日々だったが、思い返せば、あれがなければ今の私はない。 若いうちはやはり、仕事のことを第一に考えて、思いっきり働く経験が必要だと思っている。仕事を通してのみ、人は成長するのだ。うちの会社には、このように「思いっきり」働いて、「思いっきり」成長できる環境がある。

 

これは僕の創作だけど、こういうことを言う人は実際少なくない。一個人が死ぬほど「働かされた」ことを愚痴っているだけなら何ら問題はないが、このように「働かされた」ことが「正当化・美化」され、さらには「他人もこうすべき」と変化すると、実際に周囲に対して害を及ぼすようになる。

 

一番の害は、「死ぬほどは働きたくない」と声を大にして言いづらくなることだ。組織内でこのような「死ぬほど働く=善」という思想が蔓延しだすと、「死ぬほどは働きたくない」という極めて真っ当な主張が逆に異端ということになってしまう。そうなってしまったらもう最期で、「死ぬほど働かなくていいようにしよう」という対策には何らエネルギーが割かれなくなり、「長時間労働を厭わない人」だけで構成される組織が出来上がる。こういう組織に、何かの間違いで「普通の人」が紛れ込んでしまうと大変だ。「普通の人」に残された選択肢は「死ぬほど働く=善」という思想に染まるか、あるいは退職するかの二択になってしまう。これは不健全極まりない。

 

「死ぬほど働く」ことにネガティブな感想が抱けるうちは、まだ正常である。これがポジティブに捉えられるようになると、それはやばい。「死ぬほど働く」ことの愚痴はいくらでも言っていい。死ぬほど働かされた人に対して、「大変でしたね」とねぎらいの言葉をかけることも、もちろん構わない。ただ、「死ぬほど働くのは素晴らしい」という思想には賛成しかねるし、こういう思想を流布したり、ましてや他人に強制したりすることには反対だ。

 

基本的にはどんな思想を抱こうとその人の勝手なのだけど、「働きたくない」と思っている人に悪影響を与えないようにやってもらいたいとは思う。