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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「働くこと」と「人と交流すること」は別

仕事観
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「働きたくない」という話を友人にしたりすると、「同級生とかはもうみんないい年齢で働いているんだから、無職になっても一緒に遊んだりできなくて暇じゃないか」という意見をもらうことがある。別に、一人で本を読んだり映画を見たり、たまにプログラミングをしたり文章を書いたりしていれば、それで十分楽しめるから周りに合わせる必要なんて全然ないと僕は思うのだが、「遊ぶ」=「誰かとどこかにでかける」という等式が成り立っている友人にこういうことを言っても、価値観が違いすぎて通じないのでその場ではムキになって反論したりはしない。

 

ちょっと前に、はてな匿名ダイアリーに、「無職になってわかったこと」という記事が投稿されていて、話題になった。内容としては、無職になると最初の数日はいいけど、時間が経つにつれてどんどん社会から孤立していって、生活が荒んでくる……といったようなものだ。

 

無職になってわかったこと
http://anond.hatelabo.jp/20130212012119

 

冒頭の友人の例でも、この増田に投稿された記事でも、「働くこと」に多少なりとも「人との交流」や「社会とのつながり」の意味合いをもたせている人は結構多いのではないかと思う(増田の人がそれが絶たれたことで荒んでいっているのかは、正直この内容からはわからないのだけど)。確かに、会社に行けば一切のコミュニケーションを取らずに仕事をするということはほとんど無いだろうし、仕事上の関わりが少なくても、一日八時間以上顔を合わせていれば、誰かと世間話のひとつもするだろう。「働くこと」で、結果的に「人との交流」を実現しているという人も、少なくはないと思う。

 

ただ、本来これらは別物だ。「働くこと」の基本的内容は、別に「人と交流すること」でも「社会とつながる」ことでもない。役務を会社に提供して、それによって対価を得るのが労働の内容であって、人との交流が生じるのは、あくまでその副産物でしかない。実際、「人とほとんどコミュニケーションすることがない仕事」というのも少数だが存在するわけで、「働くこと」と「人と交流すること」は質的には異なるものなのだ。

 

そもそも、「人と交流する」ために、あるいは「社会とのつながりを保つ」ためには、「働いていないといけない」というのは正しくない。「人との交流」や「社会とのつながりを保つ」ことは、別に働くこと以外の手段でも実現できるわけで、これが仕事をしていない人には一切得られないというような意見には、賛成しかねる。

 

確かに、人との交流を完全に絶ってしまうと、生活がどんどん荒んでいくというのはわかる。僕は一人でいるのが好きだが、それでもたまには人と話したいと思うことがあるし、そういう機会が永久に失われてしまうと確かに辛い。だから、人や社会と繋がる手段を確保しておくことは、人間には程度の差はあれ「必要」ということになるのだろう。

 

でも、だからと言ってそのために「働け」というのはおかしい。人との交流や社会とのつながりが必要なら、それらを別途求めればよいのであって、「仕事」をしないとそれが手に入らないかのような物言いは、いかがなものかと思ってしまう。

 

今はネットがあるから、マイノリティ同士がゆるく繋がるのは昔ほど難しくない。仮に働いていなかったとしても、そのことが理由で「人とつながれない」ということはほとんど無いのではないだろうか。「仕事は、人や社会と繋がる手段として必要不可欠」だと思っている人は、その考えは必ずしも絶対じゃないということを、認識してもよいのではないかと思う。

 

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