脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

Re:脱社蓄ブログを読んで感じる違和感

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以下の記事をはてブのホットエントリで見つけたので。

 

脱社蓄ブログを読んで感じる違和感
http://hatedebu.hatenablog.com/entry/2013/03/01/164135

 

誹謗中傷ではなくて、ご意見をいただいたと認識しているので、これについて僕の見解を書こうと思う。

 

元記事の方が主に言及していたのはこの記事(給与・待遇に比例しない責任がなぜ正当化されるのか)である。この記事に限らず、このブログではいわゆる「やりがい搾取」については度々書いていて、企業側が賃金ではなく「やりがい」をエサに与えることで、不当に安く労働者を酷使しようとする状況に批判的な立場を取ってきた。

 

元記事の反論内容を要約すると、「日本にはそもそも職業選択の自由がある。賃金の代わりにやりがいが与えられるような職場が嫌なら、辞めればいい」といった感じになると思う。

 

僕は、この主張については2つの点において賛成できない。まず、第一に元記事の方は憲法で保証されている「職業選択の自由」を「嫌なら辞めればいい、別に強制じゃない」という主張の論拠に使っているが、これはちょっと筋違いだと言わざるをえない。

 

仮に、ベーシック・インカムのような制度があって、日本国民は誰ひとりとして働かなくても生計を立てられる社会が成立していたとする。そのような場合であれば、「働く」という行為は別に必須ではなく、言ってみれば趣味的なものと位置づけることができるので、「嫌なんだったら辞めればいいじゃん、別に強制してないよ」という主張は十分に成り立ちうる。例えるなら、大学のサークル活動のような位置づけである。こういう場合であれば、こういった主張も頷ける。

 

しかし、現実にはそうなっていない。「嫌なら辞めればいいじゃん」の一言で片付けられるほど、労働は単純なものじゃない。

 

まず、生きていくには金がいる。そして、その金を得るための最も一般的な方法は、会社に所属して働くことである。起業するとかフリーランスになるとか、あるいは配偶者に養ってもらうとか他にも方法はあることはあるが、大多数の人は会社に雇われて働くという方法をとるし、また、とらざるをえない。

 

こういう状況下で、「嫌なら辞めろよ、強制してないよ」という立場を企業側がとることを、果たして肯定できるだろうか。そうやって「会社が合わない」という理由で軽々しく会社を辞めたとして、仕事をしていない間は生きるお金に困ることになる。だから結局、どこかで働かなければならない。でも、転職先・再就職先がそう簡単には決まらないのは、みなさんもご存知の通りである。会社側による「嫌なら辞めろよ」は決して対等ではなく、自分がどこでも雇ってもらえるような付加価値の高い人間でも無い限り、「嫌なら辞めろ」というのは脅し文句以外の何物でもない。

 

そもそも、憲法の「職業選択の自由」は「誰でも希望の企業に転職できる」ことを保証するものではない。仮に、「職業選択の自由」が「どこでも希望した会社で働ける」という内容であれば「嫌なら辞めろよ、他にどこでも好きなところで働けるでしょ」という主張も成り立ちうるが、「職業選択の自由」はあくまで江戸時代のような「農民の子は農民にしかなれない」とかそういう国家による職業制限が行われないことを保証しているだけであって、こういう話に憲法を持ち出すのは筋違いなのである。

 

もう一点、僕が「やりがい」を対価として労働者を低賃金で働かせることを肯定できないと思うのは、それが真っ当な賃金で働きたいと思っている他の労働者を害することに繋がるからである。このあたりのことは「好きなことを仕事にしてるんだから、薄給でも幸せ」という考えがみんなを不幸にするというエントリ等に書いているので詳しくは省略するが、不当に安い賃金で働く人が出てくると、持っているスキルや付加価値相応の賃金を受け取りたいと思っている人が困ってしまう。そういう意味で、「やりがい目当てで低賃金で働くのも、個人の自由。誰にも迷惑をかけない」という開き直りは必ずしも正しくない。「やりがい搾取」に嵌ることによる他の労働者への悪影響は、少なからずあるのである。

 

あと、これについて。

 

「会社=搾取するもの=悪」ときめつけているような節が結構気になってしまう。

 

「会社=搾取するもの=悪」だとは実際このブログのどこにも書いていないと思うのだけど、仮にそんなふうに言っているように見えるのだとすれば、それは僕が現代日本に漂っている「会社=尽くすもの」といった風潮や「仕事=やりがい=人生の目的」といった価値観を、相対化・無力化したいと強く願っているからなのかもしれない。会社組織という存在自体は中立的なものであり、それ自体は善でも悪でもないと思っている。運営方法次第では善にもなるし、悪にもなりうる。そして、日本の場合は、悪になっている例が圧倒的に多い。だから、「アタマから会社を善なるものとして捉えてかかるのをやめましょう」、そう言いたいというだけの話である。

 

会社に恩義を感じるべきかどうかというのは、個人の価値観だと思うので、感じる人は勝手に感じたらよいと思っている。しかし、「恩義ぐらいは感じたら?」とそれを他人に強制することはおかしい。

 

以上が僕の意見である。

 

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

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