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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

十分な報酬を払うほうが結果的に双方幸せになれる、という話

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大阪市天王寺区無報酬でデザイナーを募集して、物議を醸していた件について。募集が出た当時からこのニュースには注目していたのだけど、結局計画そのものが中止されることで決着したようである。

 

区が無報酬デザイナー募集…抗議殺到、計画中止
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130302-OYT1T00306.htm

 

この件をやりがい搾取的な文脈で論じてもよいのだけど、それだと昨日とほとんど変わらないエントリになってしまってうんざりする人もいると思うので、今日は少しだけ話の軸をずらそう。

 

天王寺区の件に見られるような、「無料」や「相場より低い報酬」による仕事の募集や依頼というのは、実は結構ある。天王寺区の場合は、よりによって自治体が、業界への敬意が感じられない書きっぷりで公募をかけたためにこれだけ批難が集まったのだと思われるが、例えば友人のWebデザイナーに自分のお店のホームページ作成を格安で発注したり、あるいは開発中のiPhoneアプリの画像素材を知人に「ご飯をおごるから頼むよ」という感じでお願いするなど、「十分とは言えない報酬」による仕事の依頼というのは割とそこら中に転がっている。

 

こういう依頼が倫理的によいとか悪いとかいう話は、今日は置いておこう。今日、主に書きたいのは、このような形による依頼は果たして誰の得になるんだろうか、という話だ。

 

普通に考えれば、友達価格で発注できた依頼者は安いお金で仕事が頼めてよかったね、得をしたねという話になりそうである。しかし、必ずしもそうは言えないと僕は思う。具体的には、そうやって相場より安い報酬によってお願いした仕事の質は、買い叩いた分だけ下がっているのが普通だからだ。

 

仕事を請け負う方の身になって考えてみると、相場より低い報酬の仕事にそこまで高い労力を割きたくはないだろうから、まぁいい加減にこなすことになる。納期だってグズグズになりうる。「相場より安くやってるんだから、別にいいでしょ」という言い訳が生まれるわけである。

 

これに対しては、発注者の方もあまり強くは言えない。十分な報酬を払っていれば「しっかりやれ」と強い態度にも出られるだろうけど、格安や無報酬だったりすれば、その分後ろめたさもあるので仕事の質について強くは言えなくなる。相手が「こんな感じでいいですかね」といい加減なアウトプットを出してきたとして、十分な報酬を払っていない場合は、「やり直してくれ」と強く言うことは、普通のメンタリティの持ち主だったらはばかられる。また、相手が納期に遅れたとしても、「まぁ、格安(無料)で頼んでるからなぁ」と言うことで、諦める人がほとんどではないだろうか。

 

この場合、頼まれたほうは買い叩かれたせいでやっつけ仕事をする羽目になって面白くないし、頼んだ方も満足できないクオリティの仕事に対してやり直しをお願いすることもできずに、不満が残る。十分な報酬を払わないことで、双方が不幸になってしまうのだ。

 

もちろん、全部が全部こういう結果になるとは限らないのだけど、こんなふうに格安(あるいは無償)による発注で双方が傷つけられるケースは、割とたくさんあるのではないかと僕は思う。

 

天王寺区の例に関して言えば、そもそもデザイナー募集の目的は、デザインのクオリティ向上にあったはずである。この場合、クオリティこそが妥協できない要素なわけであるから、やはり十分な報酬を払うことで仕事をしてもらったほうが双方にとってよかったのではないだろうか。予算が無くて十分な報酬が用意できないというのであれば、それはその時点で諦めるべきだったのである。結果的に仕事の依頼も実現せず、評判まで落とす結果になってしまって天王寺区は完全に「損」しかしていない。

 

「ただより高いものは無い」とか「安物買いの銭失い」といった諺は、なるほどなかなか正鵠を射ているなぁ、と思ってしまうような事案である。

 

ヤバい経済学 [増補改訂版]

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