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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

がむしゃらに取り組むことで得るものがあるのは、別に仕事だけではない

仕事観
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このブログでは度々、「若いうちは、とにかく仕事にがむしゃらに取り組むべきだ」という主張を批判的に取り上げている(若者もワークライフバランスを求めていいなど)。今日はこれについて、もう少し補足的な話を書きたい。

 

僕はこんなふうに「若いうちはとにかく仕事。プライベートなんていらん」という暴論を押し付けてくる人が心から嫌いだが、この人たちが論拠にしている「仕事にがむしゃらに取り組むことで、能力が向上できる」という主張自体は、別に嘘ではないと思っている。どれだけがむしゃらに取り組んだところで何も得られないという仕事はもちろんあると思うけど、OJT的に、仕事を通して能力を向上させることができるという事実を全否定しようとは思っていない。

 

しかし、がむしゃらに、自分の持てる時間をそれこそすべて投入して取り組むことで何らかのリターンを得ることができるのは、別に仕事に限定した話ではない。例えば、わかりやすい例は受験勉強だ。受験生はそれこそ一日10時間とか12時間とか、「がむしゃらに」勉強に取り組み、学力向上を成し遂げる。また、受験に限らず音楽にせよ、あるいはスポーツにせよ、とにかく持てる時間を徹底的に投入して、がむしゃらに取り組めば、普通はまぁ何か得るものがある。

 

マルコム・グラドウェルが提唱した「10000時間の法則」という有名な法則がある。世の中で一流と言われているスペシャリストになるには、大体10000時間ぐらい1つの物事に打ち込む時間が必要だ、というような感じの内容だ。別に僕は10000時間何かに打ち込んでスペシャリストになれと発破をかけようというわけではないのだけど、一定量の時間投資を行えば、本当に一流になれるかは別として、普通はそれ相応のリターンがあるだろう。「がむしゃらに仕事に取り組めば得るものがある」というのは、「一つの物事に時間をかけて取り組めば、得るものがあるよ」という一般論を仕事に当てはめているに過ぎない。

 

「若いうちは仕事に打ち込め」的な主張が問題なのは、このがむしゃらに取り組む対象が、「仕事」に限定され、しかもそれを強要していることだ。仕事でスペシャリストになりたい、一流になりたいと思っている人は別にそれでよいと思うのだけど、誰もがそう思っているわけではないだろう。どの分野で一流になりたいか、ということについては別に仕事に限定されずに、その人の人生観によって決められることだと思うし、もっと言うと別に何かの分野で絶対に一流にならなければならないということは決して無い。それよりも、楽しく生きることのほうが大事だという考えは、もっと尊重されるべきだ。向上心は、その人の中にだけあるうちはとても意義があるものがだと思うが、それを他人に強要した瞬間に害悪に変わる。

 

何かに対してがむしゃらに取り組むのも、あるいは取り組まないのも個人の自由である。みんなそれぞれ大事だと思うものは違うわけで、それを同じだと仮定して話しても、あんまり意味がないと思うのだけどいかがだろうか。

 

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