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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

消極的な夢の叶え方

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「将来の夢」を小学生あたりに書けと言うと、基本的には「◯◯になりたい」という形での答えが返ってくると思う。別に小学生に限らず、大学生やあるいは大人であっても、将来の夢や目標について語る時は、基本的には「◯◯になりたい」「◯◯をやりたい」といった積極的な姿勢で語ることが多い。

 

こうやって夢や目標がすっぱりと決まる人は問題ないと思うのだけど、結構いい年齢になっても特に自分のやりたいことが定まらず、なんというか日々悶々としてしまっている、という人もいるのではないかと思う。「俺は何がやりたいんだろうなぁ」なんてことをたまには考えたりするが、特にこれと断定できるようなものがあるわけでもなく、なんとなく大学を卒業して、なんとなく就職して、なんとなく結婚をして、なんとなく子供を作って……といった感じで年齢だけは大きくなっていく。しかし、何歳になっても「積極的な夢」は見つからない。

 

ちょっと前までは、こういう「流されて行く」感じのする生き方は嫌だなぁ、と思っていたりしたのだが、だからと言って「人として生を受けた以上は、何か事をなさねばならない」とかいう孫正義的なマインドを持ち続けるというのはもっと嫌である。そんなことを考えていたら、別に「夢」は積極的なものでなくてもいい、ということに気がついた。

 

ここで言う積極的な夢、というのは冒頭で挙げた「◯◯になりたい」という形式の夢である。一方で、消極的な夢、というのはこれの逆、すなわち「◯◯になりたくない」という形式の夢だ。そして、自分が抱いているのがこういった消極的な夢であっても、僕は立派に胸を張ってよいと思う。

 

例えば、人に指図されたり命令されたりするのがイヤだ、という理由で起業をする。この人の夢は、「会社を世界一の企業にする」とか「大金持ちになる」という積極的なものではなく、「人に指図されたり命令されたりしたくない」という消極的なものだ。だから、別に会社は大きくしなくてもいい。ただ、立派に生きていければ夢は達成できる。こういうのも、もっと夢のカタチとして認められてもよいのではないだろうか。

 

考えてみれば、「◯◯したい」も「◯◯したくない」も、ベクトルが真逆だというだけで、願望であることには変わりがない。そして、何か積極的にやりたいことが見つからないという人も、やりたくないこと、自分が我慢ならないことは、経験などからわかることが多いのではないだろうか。まずは、そういう「やりたくないことをやらない」という夢を叶えてみるというのはなかなかよい方法だと僕は思う。別に何かを積極的に推進しようとしなくても、やりたくないことを強制されない人生というのは、結構楽しいものなのではないだろうか。

 

かくいう僕も、「働きたくない」という消極的な夢を叶えるために、日夜奮闘中である。決して順調だとは言えないが、これは立派な夢だと個人的には思っている。

 

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