脱社畜ブログ

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風紀は規則があるから乱れる

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僕は、一貫して夜型である。朝起きるのはとても辛い。特に、冬場はものすごく辛い。大学生の時は、そういった事情で一限の講義に出るのは不可能だった。今でも、午前中はあまり意識がはっきりしない。

 

こんな感じなので、平日の朝に会社に行くのにはとても苦労する。多くの会社には始業時間なるものがあって、これに間に合わない人は「社会人の常識がない」とされる。酷い場合には、始業時間ギリギリに来るだけでも「社会人の常識がない」などと言われ、これは夜型人間にとっては地獄である。

 

一番納得が行かないのは、特に誰にも迷惑をかけない場合であっても、遅刻は悪とされることである。例えば、始業時間が8:30だが、午前中は特に会議などもなくて、基本的にはいてもいなくても、誰にも迷惑がかからなかったとする。そういう場合であれば、ゆっくり出社しても何の問題も無いはずだ。こういう時ですら、遅刻をすると文句を言われる職場は多い。

 

誰にも迷惑をかけていなかったとしても、時間通りに来ることを強要する人の言い分で、よく出てくるものに「社内の風紀が乱れる」というものがある。また、「ルールを守っている人に申し訳ないと思わないのか」といったものも聞いたことがある。

 

これについて僕は、そもそもの問題は「遅刻すること」ではなく「ルールがあること」ではないか、とよく思う。「規則」が存在するから「規則を破った」という状態が生じて、それによって風紀が乱れる。そもそも規則が無ければ、規則を破る方法も存在しないわけで、風紀は乱れようがない。ルールがはじめからなければ、「ルールを守っている人に申し訳ない」なんていう話もない。そもそも意味のない規則は、撤廃してしまったほうが社内の空気も良くなるはずだ。

 

基本的に、規則というやつは増えていく一方であり、減ることはあまりない。忘れてはならないのは、規則をひとつ足すたびに、風紀の乱れの「種」もまたひとつ増えていくということだ。歴史の長い組織や、構成員数が多い組織ほど規則の数も多い傾向にあるが、そういった組織はそれだけ風紀の乱れの「種」を抱えているということになるのではないだろうか。

 

規則はメンテナンスをしないと、どんどん増えていってしまう。組織内の風紀を保ちたいのであれば、規則を守らせるだけでなく、規則自体も定期的に見直して、妥当しないものは消していく努力をしなければならない。そうしないと、「守ること」以外に何ら価値の無い規則によって、組織が窮屈なものになってしまう。

 

「風紀の乱れ」を理由に規則を守ることを強要されたら、問題は規則の側にあるのではないか、と一度疑ってみるとよいだろう。そして、僕は「始業時間」関連の規則は、基本的に問題を抱えていると思っている。

 

遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成

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