脱社畜ブログ

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「経営者目線を持て」の真の意味は「みんな俺と同じように考えろ」

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この前、「経営者目線」について知人と話をしていて、「面白いなぁ」と思ったことがあったので紹介したい。

 

日本には、不思議なことに従業員に「経営者目線」を持つことを要求する会社がある。若者バッシングの常套句に「指示待ち族」とか「言われたことしかできない」とかいうのがあるが、これが発展して「お前たち従業員も、もっと会社のことを一人一人考えて、経営者目線をもって仕事をしろ」というご高説を垂れる経営者が実際少なくない。

 

しかし、よくよく考えてみると、仮にこれが本当に実現したとすると結構大変なことになる。「船頭多くして船山に登る」という諺があるが、経営判断に関する意見なんて当然人それぞれになるわけで、従業員が本当に経営者目線を持って自律的に考え始めたら、間違いなく大揉めになるはずだ。「右に行こう」と誰かが言い出したら「いやいや、左だ」と他の人が言い出して、さらには「待て待て、ひょっとすると上かもしれない」という意見まで出てきて、いつまでたっても仕事は進まなくなる。そんなことになったら、経営のスピード感は失われ、会社経営は立ち行かなくなるだろう。以前にも書いたが、こういった民主的なやり方は必ずしも経営に向いているとは言えず、全員が本当に経営者目線を持ったら、はっきり言って効率が悪すぎる。

 

そして、「経営者目線を持て」と従業員に要求する経営者も、会社をこのような状態にすることを望んでいるわけではないはずである。結局、経営者が従業員に「経営者目線を持て」という場合の真の意味は、別なところにある。思うに、経営者が従業員に「経営者目線」をもって考えることを要求して仕事をすることを求めた結果、全然自分と違う意図の仕事をしてきたら、おそらく経営者は怒るだろう。結局、経営者が従業員に求める「経営者目線」というのは、「自分と同じように経営判断をすること」であり、つまりは「みんな俺と同じように考えろ」というのが「経営者目線を持て」という言葉の真の意味なのではないだろうか。

 

しかし、程度によるがこれは無茶な要求と言わざるを得ない。エスパーでも無い限り経営者の心は読むことはできないし、そもそも経営方針を従業員に浸透させたりすることは経営者の主務なわけで、こういう仕事を放棄して「経営者目線を持て」の一言で解決しようとするのはさすがに虫が良すぎる。仮にこれで会社が回るのだとしたら、経営者の存在価値はどこにあるのかわからない。

 

また、そういった経営者が満足するような「経営者目線」による経営判断が仮にできる人がいるのだとすれば、その人を「一介の従業員」待遇で雇うのは不適切ではないか、という問題もある。日本の会社はとにかく従業員に「割に合わない仕事」を要求しがちだが、これはその最たるものではないかと思わずにはいられない。

 

会社のエライ人が一介の従業員にまで「経営者目線を持て」とか喚き始めたら「また無理言ってやがるな」と思って適当に流すことをおすすめしたい。経営者が従業員に経営者目線を要求することは経営者の職務放棄であるし、割に合わない仕事の強要の前触れに違いないからだ。

 

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