脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

仕事を通じて成長なんてしなくていい

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なぜか、仕事と成長はセットで語られることが多い。学生の頃、冷やかしで就活セミナーのようなものに一回行ったことがあるのだけど(詳しくはこちら参照)、その時講師を勤めていた戦略コンサルタントは「人は仕事を通じて一番成長するんだ」という話をしていたし、Amazonで「仕事 成長」というキーワードで検索をするとそういった内容の本が山ほど出てくる。先日話題になったユニクロ柳井正会長のインタビュー記事では、「人間は、仕事以外で成長する方法はないんですから」とまるでそれが普遍の真理であるかのように語られていて、怖い気持ちにすらなった。

 

僕はそもそも成長なんて無理にしなくていいと思っているのだけど、仮に成長する必要があったとしても、それを仕事内で行う必然性はないと思っている。成長と仕事が必ずセットで語られるのは正直ちょっと変だ。これらがセットでなければいけない論理的必然性はないし、もっと言うと、仕事で成長するというのは捉えようによっては効率が悪いようにすら僕には思える。

 

例えば、あなたがソフトウェアエンジニアだったとして、何か身につけたい技術があったとしよう。それを身につけるために、最も効率的な方法はなんだろうか。仕事でその技術を使ってみるというのは確かに手っ取り早い方法だけど、必ずしもその願いが叶うとは限らない。プロジェクトの進め方について自分に決定権があるならいいが、実際には上司の決定に従わなければならなかったり、あるいは先方の事情によってそもそも選択の余地がなかったりすることは少なくない。それでも根回しや上訴を続けてなんとか自分の成長と仕事のベクトルを合わせていくという方法は無くはないけど、はっきり言ってこれは迂遠だ。そういったことに労力を使うぐらいだったら、仕事を毎日定時で切り上げて、例えばプライベートプロジェクトを題材にして勉強を進めていったほうが効率よく自分の能力を向上させることができる。

 

結局、仕事を通じて成長できるかどうか、というのはその仕事が自分の成長したい方向と合致しているかということに強く依存するため、仕事で成長できるかどうかは言ってみれば運次第なのである。「仕事で成長する」というのは特殊な話であって、決して一般化できるような話ではないのだ。

 

こういうことを書くと、「成長というのは、そういった細かなスキルの向上のことではなくて、人間的な成長のことを言っているんだ」という反論する人がいるかもしれない。僕はこういった「人間的な成長」のような、定義がよくわからないものに対する議論はあんまり意味がないと思うのだけど、仮にそういう抽象的な能力向上の話だったとしても、仕事はあくまでたくさんある成長手段のうちのひとつでしかないと思う。仕事以外でも例えば、子育てとか、恋愛とか、結婚とか、親孝行とか、そういうものを通して色々と人間的に学ぶということは少なくないはずだ。

 

具体的なスキルの向上にしても、人間的な成長にしても、そのための題材は仕事以外のところにもたくさん転がっている。仕事だけが、成長の手段というわけではない。仮に、仕事を通じて成長することが一切なかったとしても、それでその人がダメな人だということには成り得ない。

 

そもそも、成長自体そこまで意味があるものではない。大事なのは成長の結果何をやるかだし、仮に何もしなかったとしても、毎日楽しく生きていれば特に問題はないはずだ。

 

経済成長という病 (講談社現代新書)

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