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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

Re:仕事を通じて成長しなくても許されるのは貴族まで

仕事観
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前回のエントリ(仕事を通じて成長なんてしなくていい)を、小飼弾さんに取り上げていただいた。

 

仕事を通じて成長しなくても許されるのは貴族まで - 404 Blog Not Found
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51864828.html

 

前回のエントリ内で、僕が「成長」という言葉の定義を明らかにしなかったのでなんだか話が噛み合っていないような気がするのだけど、それはとりあえず置いておくとして、小飼さんのエントリの結びの部分

 

奨学金出すって言ってるのに自腹で結構ですって、どこの貴族ですか。

 

という批判について、思うところがあるので少し書かせていただきたい。

 

この一文は、「仕事を通じて成長すれば、お金をもらいながら成長できるのに、それを避けるというのはお金が有り余っている貴族のやり方だ」という意味だと僕は解釈した(違ってたらすいません…)。

 

確かに、例えばプライベートで本を読んで「成長」しようと思ったとして、それは短期的には「消費」にほかならない。本を買うのにはお金がかかるし、本を読んだことに対して報酬を払ってくれる人も普通いない。一方で、仕事と成長を何らかの形で絡めれば、お金をもらいながら(すなわち、奨学金を受け取るような形で)成長を実現することができる。

 

これは理想的なように思えるが、僕はそもそも日本の、労働環境が劣悪な職場による仕事で払い出される賃金を「奨学金」と言ってしまってよいのかに疑問がある。一介の従業員なのにも関わらず会社に対する無限のコミットが求められ、過労鬱、過労死が問題になるような職場で働くことでようやく払い出される「奨学金」。この奨学金をもらうために働いた結果、体や心に支障をきたし、結果的にはプライベートで自腹を切って成長した場合よりも高くついてしまったということも、我が国の労働環境を考えれば十分にありえるのではないだろうか。日本という国で「奨学金」をもらって成長しようとした場合、利子が高くつきすぎるという可能性は決して少なくない(もちろん、そうでない職場もあるとは思うが)。

 

また、これが僕が前回のエントリで強調したいことだったのだけど、仕事による「成長」には、その方向性について本人のコントロールが及ばないことが往々にしてある。小飼さんは「出来なかったことが出来るようになること」として「成長」を定義しているが、ではこの定義に則って「成長」してさえしていればいつかは楽しく生きられるようになるのかというと、決してそんなことはないだろう。例えば、ミュージシャンになりたい人がコンビニの仕事に熟達してもしょうがない。小説家になりたい人が、ビジネスマナーを完璧にマスターしてもやはりあまり意味がない。「出来ないことが出来るようになること」は大切だが、その前提として「自分が出来るようになりたいことは何なのか」を定めることは必要だ。慢然と成長だけしていても、それではどこに行くのかわからない。

 

そして、そういう「成長」の目的意識があったとして、それを実現するための手段として仕事が適しているのか、あるいはプライベートでの取り組みが適しているのかは、ケースバイケースということになる。上のミュージシャンや小説家の例だと、やはり仕事だと厳しそうだ。また、仕事とある程度親和性が高い成長を本人が望んでいたとしても、職場環境によっては効率が著しく下がる場合もある。「仕事を通じて成長」があらゆる「成長」に対して万能な解かというと、やはりそれは違うと僕は思う。

 

日本の就職活動や一部経営者が持ち出す理論だと、こういった成長の「内容」や「質」に関する議論をすっ飛ばして、とにかく「成長が必要」であり、そして「それは仕事を通じてしか得られない」という方向に話が進む。僕が強く違和感を覚えているのはこういう風潮で、何らかの形で能力向上をしてくことが楽しく生きることにとって重要だということには異論がないが、それが仕事という形(しかも、仕事への献身という形)でのみ得られるというように話が進むのは、やはり違うのではないかと思ってしまう(小飼さんは別にそんなことは書いてないけど)。

 

いずれ人類は、週休二日どころか週勤二日で必要なものを賄えるようになるし、そうなるべきだと私は信じているけれど、一足飛びにそこには行けるわけではないし、そうなったらそうなったらで今度は残りの五日を楽しく過ごすのに「成長」と呼ぶしかない道程が必要になるはず。

 

『働かざるもの、飢えるべからず。』も読ませていただいたが、小飼さんの社会のあり方に関する考えには、共感するところが非常に多い。そのような社会実現のための「成長」が必要であれば、自分も努力をしていきたいと思っている。それを仕事を通じて実現するかは、お約束できないのだけど。