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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

これは私の仕事ではないを貫き通しても、何もできない人になるとは限らない

仕事観
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これは私の仕事ではないを貫き通すと、何もできない人になる
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20130427/1366990148

 

「あんまりこのエントリの内容とは関係ないんだけど。」という前置き付きのエントリなので、反論というのはたぶん違うと思うのだが、一応リンクをいただいているので書かせていただく。

 

今回のエントリは、タイトルをあえて元記事の反対にさせていただいた。というのも、元記事の内容では「これは私の仕事ではないを貫き通すと、何もできない人になる」という論証として、不十分だからだ。

 

ポイントはこちら。

 

これは僕の仕事ではないを繰り返していくと、ほぼ間違いなくマックジョブしか出来ない人になります。 最初から出来る事しかやらないことを繰り返せば、誰にでも出来ることしか出来ない人になるのは火を見るより明らかです。そうなってしまえば、その会社でのあなたの居場所というか存在感は無くなってしまい、任される裁量の範囲がどんどん狭くなるので、自分にしか出来ない仕事やこの場所なら自分は勝てるという場所が無くなっていきます。どこかで、自分の基準を上げる努力を求められる時が来ます。

 

この段落、あまり考えずに読んでいるとスーっと通っていってしまいそうだが、実はここで「これは僕の仕事ではないということ」=「最初から出来ることしかやらないこと」という暗黙の前提が置かれている。そして、以後は「最初から出来ることしかやらないという人は、何もできない人になる」という話で論理が展開されていく。

 

そして、この「これは僕の仕事ではないということ」=「最初から出来ることしかやらないこと」という前提は本当なのだろうか。「これは私の仕事ではない」と職分を明確にすることは、必ずしも「最初から出来ることしかやらない」ことを意味しない。自分の職分において、経験がなかったことにチャレンジをして、自らの人材価値を高めるということは普通にありうる。例えば、現場でコードを書いていたいエンジニアが、顧客と折衝をすることは頑なに拒否しているものの、自らの職責(現場でコードを書くこと)ではしっかりチャレンジしている、という状況を想像してもらえればいいと思う。経験がないことにはチャレンジをしようとしないという人がマックジョブしか出来ない人になることはあったとしても、「職分を定める」という行為が、直ちにマックジョブしか出来ない人を生むわけではない。

 

一言で言うと、「職責の明確化」の話が、途中から「自分のできることしかやろうとしない人」の話に置き換わっているのだ。結局のところ、元記事の主張内容は「自分がやったことのないことにもチャレンジしないと、何もできない人になる」というものであって、これに関しては僕も同意である(僕は柳井正とは違うので、そのチャレンジは別に仕事外であってもいいと思うけど)。あちらの記事に対して「こっちの主張のほうが自分には合っている」的なことを言っている人がいるが、そもそも僕が前に書いた記事とあちらの記事は、現状だと排他関係にない。

 

日本の正社員の職責が明確でないということに関しては、濱口先生も仰っているように、もはや言い古されたことなのだろう。前に書いたエントリは、そういった日本的正社員のあり方自体に対して批判を行ったつもりだった。

 

正社員の辞書に「それは私の仕事ではない」という言葉はない
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-4658.html

 

これに対して、「日本では、そういうやり方ではそもそも会社に居場所がなくなってしまう」という批判を行なってもそれは議論のレイヤーがあっていないのではないだろうか。そう、確かに居場所がなくなってしまう。僕はそのこと自体を問題にしたいのだ。

 

「あんまりこのエントリの内容とは関係ないんだけど。」という前置きがあるので、おそらく話が噛み合っていないということはご認識された上でわざと書かれているのだろうと思うのだが、一応。

 

論理トレーニング101題

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