脱社畜ブログ

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『憲法と平和を問いなおす』:民主主義と立憲主義、そして平和主義について

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今日は憲法記念日である。色んなブログを眺めていると、憲法に関するエントリもチラホラ見受けられる。twitterで盛んに憲法改正だ、いやいや護憲だと戦っておられる人たちもいるようだ。

 

そんな中で僕は、この手の論争に積極参加するのではなくて、とりあえず本を一冊だけ紹介したいと思っている。長谷部恭男先生の憲法と平和を問いなおす』だ。

 

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

 

まずはじめに言っておくと、本書はいわゆる「護憲派」や「改憲派」のどちらかの主張を後押しするものではない。このことは、本書の「あとがき」にもはっきりと書かれいてる(ちなみに、本書は「あとがき」がいわゆる著者による自著紹介文になっている。書店で本書を買うべきかどうか迷った方は、とりあえず「あとがき」を読んで判断してみるというのもよいだろう)。

 

 第一に、「憲法と平和」とくれば、憲法に反する自衛力の保持を断固糾弾し、その一日も早い完全廃棄と理想の平和国家建設を目指すべきだという剛毅にして高邁なるお考えの方もおられようが、そういう方には本書は全く向いていない。
 第二に、「憲法と平和」とくれば、十分な自衛力の保持や対米協力の促進にとってじゃまになる憲法九条はさっさと「改正」して、一日も早くアメリカやイギリスのように世界各地で大立ち回りを演じることのできる「普通の国」になるべきだとお考えの、自分自身が立ち回るかはともかく精神的にはたいへん勇猛果敢な方もおられようが、そういう方にも本書は全く向いていない。

 

護憲派」にせよ「改憲派」にせよ、憲法改正を巡る議論において決定的に抜けている視点が一つある、と長谷部先生は指摘する。それが立憲主義という考え方だ。本書は、この「立憲主義」をひとつのキーワードとして、日本国憲法やその九条が謳う平和主義についての考察がなされている。まず民主主義についての考察がなされ(第一部)、民主主義で決めるべきではない問題を解決するための立憲主義へと話が展開され(第二部)、最後には立憲主義の下で、平和主義をどう考えるべきかという考察へと進む(第三部)。「お見事」と言わずにはいられないぐらい、歯切れのよい論理展開には思わず脱帽せずにはいられない。やはり、学問の最前線を自ら切り開いている学者の先生はスゴイ。

 

世の中には色んな価値観の人がいるが、自らの信念に反する行動を取る人に対して、「間違っている」といって排除する方向に実力を行使すれば、争いに満ちた世の中になることは容易に想像がつく。そこで、「立憲主義」の下では、人々の抱いている「価値観」は私的領域に押しこまれ、いわゆる「公の場所」には持ち込むことが禁じられる。つまり、憲法は「人の生き方」とか「道徳」とか、そういうものをあえて国民に教えない。それは個人が考えることであり、憲法がとやかくいうものではない。そういった線引が、そもそも憲法というものにはある。

 

さて、このことを念頭において、自民党の改正憲法草案を読んでみると、色々と突っ込みどころがあるということに気づくであろう。立憲主義や、そもそも憲法が対国家規範であることについて理解している人が党内にいるのか、正直あやしいものである(著名憲法学者の愛弟子を騙る国会議員ならいるが)。あるいは理解の上で、あえて無知を装いそれを破壊しようとしているのであれば、さらにおそろしい。

 

一方で、「憲法九条は人類の宝である」という考えもまた、「価値観」や「道徳」を憲法に持ち込もうとしているともいえなくはない。九条を読んで涙するという人もいると聞くが、少なくともそれは個人レベルでとどまっていなければならない。無条件で絶対的な服従は、信仰と何ら変わりがないからだ。

 

このように、我が国における憲法の関する議論は、改憲を支持するにせよ、護憲を支持するにせよ、乱暴な物言いがあまりにも多い。自民党が政権に返り咲いてから憲法改正論議が加熱しているが、ここで両陣営ともいったん冷静になって、「憲法とは何か」を考えなおしてみてもいいのではないだろうか。その手段として、本書を読むのは悪くない選択肢だと僕は思う。