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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「仕事が嫌い」でも、卑屈になる必要はない

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ちょっと前の話になるのだけど、『なんでもワールドランキング ネプ&イモトの世界番付』というテレビ番組で、世界各国の子供のなりたい職業ランキングという特集をやっていたのだそうだ。そして、面白いことにフィンランドの子供のなりたい職業ランキング3位は「働きたくない」だったという(僕自身は残念ながら放送そのものは見ていない。情報だけあとで教えていただいた。ありがとうございます)。

 

これについて、フィンランドというお国柄について論じるつもりは基本的にはない。ただ、これがスゴイなと思ったのは、「なりたい職業」を考える際に、しっかりと「働きたくない」という選択肢が存在していたということだ。こういう選択肢があることは考えてみれば当たり前で、誰もが「なりたい職業」を持っているはずだ、という前提を置くことがそもそも間違っている。

 

もちろん、「働きたくない」を貫くには、それでも生計を立てられるだけのお金を労働以外の手段によって得ることが必要で、そういう手段を持たないのであればやはりどこかで働く必要がある。「働きたくない」人でも、残念ながら働かなくてはならないことはある。

 

重要なのは、「本当は働きたくないんだけど、仕方がないから働いている」という人と、「働きたいから、働いている」という2種類の人が本来はいるはずなのだ、ということだ。そして、日本ではどうも前者のような人が存在するということを、正面から受け止めようとしていない感じがする。

 

日本の労働観批判で一世を風靡した「ニートの海外就職日記」の海外ニートさんは、「Job is Shit!」(仕事なんてクソだろ?)という名言を残したが、こういうことを大声で言うと、我が国では残念な人だと思われてしまう。一方で、「仕事が好きで好きで、プライベートもほとんど仕事です!」という人に対するイメージは基本的には悪くない。両者はあくまで、仕事に対する考え方が違う(前段落の話で言えば前者のタイプと後者のタイプ)というだけなのだけど、前者に対しては不思議なことに、必要以上に風当たりが強い。

 

みんなが「仕事を好きでなければならない」というのは特定の価値観の押し付けでしかない。僕は別に、「みんな仕事を嫌いになれ」というつもりはないのだけど、仕事が嫌いな人は、無理して仕事を好きになったり、あるいは自分が好きになれる仕事を一生懸命探したりする必要は必ずしもないと思っている。嫌いなものは、別にそのまま嫌いでもいいはずだ。

 

むしろ、好きでもないものを好きになろうとか、あるいは好きだと思い込もうとかするほうが、心理的負担は大きい。誰だって、嫌いなものの1つや2つはあるだろう。それがたまたま仕事だったというだけだ。

 

カレーが好きだ、という人に対して、カレーが嫌いな人が卑屈になる必要が果たしてあるだろうか。仮に「仕事が嫌い」でも、「仕事を通じで自己実現」ができなくても、「やりがいを仕事に見出す」ことができなくても、堂々としていて全然問題ないのである。

 

むしろ「仕事が嫌い」だからこそ早く終わらせる術を考えたり、「仕事が嫌い」だから休日をしっかり取れるようにしようと考えたりするという側面もあるわけで、「仕事が嫌い」なことによって生まれるプラス効果は無視できない。「やりたくない」とか「面倒くさい」とかいう負の感情から生まれるイノベーションだってある。

 

「仕事が嫌い」な人は堂々と仕事を嫌っていいのだ。「仕事が嫌い」なことで、「仕事が好き」な人より劣っているなんていうことは、全然ないのだから。

 

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