「意識高い系」という言葉もだいぶ定着した。僕が大学にいたころから、勉強にはあまり熱心じゃないのに、「成長だ、就活だ、起業だ」とよくわからないエネルギーを発揮していた学生の一群はいた。日本全国の大学に存在する学生団体とか、マーケティングサークルの類は多かれ少なかれ「意識高い系」的要素を内包している。
今日は、そんな「意識高い系」について、別な側面からちょっと考えてみたい。僕はソフトバンクの孫正義社長をすごい経営者だと思っているが、そんな孫正義社長は、よくtwitterで意識の高い発言を繰り返している。以下は一例。
夢に向かって明るく努力し続ける。
そうすれば好転し始めるものである。
— 孫正義 (@masason) February 17, 2013
チャンスは必ずやって来る。
諦めない限り。
— 孫正義 (@masason) February 9, 2013
限界は己の弱き心が決めてしまうもの。
必ず突破する道はある。
— 孫正義 (@masason) January 6, 2013
……とても、意識が高い。あまりにもの意識の高さに目眩を感じそうになるが、ではこれらの発言をもってして孫正義が「意識高い系だ」とバカにされるかというと、決してそういうことはない。孫正義には、こういうことを言うだけの実績があるし、そういうことを踏まえてこれらの言葉を読むと、思わずお気に入りに入れたりリツイートしたくなる気持ちも、わからなくもない(僕はしないが)。
一方で、これと同じことを学生団体の代表あたりがtwitterに書いたら、まぁなんというか残念に思われるというのが一般的な反応ではないかと思う。「この人いいこというなぁ、すごいなぁ、尊敬するなぁ」とは普通行かないだろう。
言っていることは同じなのに、なぜ孫正義が言うと「さすが」となり、一介の学生が言うと「残念」になるのだろうか。これはものすごく単純な話で、人は、実績が伴わない状態における意識の高い発言を「うざい」と感じるからだ。
孫正義は、ソフトバンクの創業初日、2人のアルバイトを前に、みかん箱の上に立って「わが社は5年以内に100億円、10年で500億円、いずれ1兆円企業になる」という演説をしたという。当時のアルバイト2人は、「こいつは何を言っているんだ」ということで、結局ソフトバンクを辞めてしまったそうである。彼らにとって、孫正義の話は「実績の伴わない、意識の高い発言」でしかなかったのだろう。孫正義ですら、実績がない状態では、このように見られてしまう(実際には、この時点で孫正義は既に米国で一回成功しているので「実績なし」ではないのだが)。
「意識高い系」とバカにされて悔しいのであれば、まずはその発言が伴うだけの実績を作ればいい。そのために、自分が何をすればいいのかを真剣に考えるべきだ。よくわからない交流会や、目的のはっきりしない勉強会が、本当に誰もが認める「実績」をつくり上げるために、必要なものなのかはよく考えたほうがいい。
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