脱社畜ブログ

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『独立国家のつくりかた』:様々なレイヤーから社会を見る

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坂口恭平氏の『独立国家のつくりかた』を読んだ。

 

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)

 

「日本政府から独立して、新しい国を作ってしまう」という発想は、実は結構ある。井上ひさしの『吉里吉里人』は東北の村が独立国家を作って日本政府と戦うという内容の小説であるし、僕の私淑する北杜夫は躁病期に、自宅の庭に「マンボウ・マブゼ共和国」という独立国家を作った。本書も、きっとそういう本なのだろう、と僕は読む前には思っていた。

 

しかし、内容はだいぶ違うものだった。確かに、坂口氏は日本政府が人命を軽んじ、憲法を守ろうとしないことに憤りを感じて、独立国を熊本に作り初代内閣総理大臣を名乗るのだが、この独立国家は日本国と排他関係にはない。そういう意味では、これを「独立国家」と呼んでいいのかと考えることもできるのだけど、そもそもこの国家は存在している「レイヤー」が違うのだから、そういう議論をしてもしょうがない。

 

本書は、タイトルこそ「独立国家のつくりかた」であるが、内容は坂口恭平氏の思想をまとめたもの、といったほうが適切だと思われる。坂口氏の考えている都市の捉え方や、土地私有の不当性、態度経済という概念、創造の方法論などなど、様々な内容が盛り込まれている。正直、意味が捉えづらかったり同意できなかったりするところもあるのだが、「考えるきっかけ」になることは間違いない。

 

本書の中で最初から最後まで一貫して論じられている重要な概念が、「レイヤー」だ。坂口氏は「都市には無限のレイヤーがある」と書いている。例えば、「家」と聞けば僕たちは普通いわゆる「一軒家」であるとか「マンション」であるとか、とにかくそういったものを「家」と捉えるが、路上生活者の方々は都市そのものを「家」と捉えているという。彼らにとって、公園は居間とトイレと水場を兼ねたものであり、図書館は本棚である。普通の人が見ているレイヤーと、路上生活者が見ているレイヤーは違う。それゆえに、誰からも奪われたりしないし、他の人が使うこともできる。そういった、新しい空間認識としての「レイヤー」の考え方が、本書の至るところに登場する。

 

そして、坂口氏が作った独立国家は、いわゆる僕たちが普通に生活をしている「日本国」とはまた違ったレイヤーに存在している。それゆえ、奪われたりはしない。日本人であると同時に、坂口氏の国家に所属することもできる。こういう形での「独立国家」の提唱は、今まで考えてもみたことが無かったので非常に新鮮だった。

 

読んで思ったのは、坂口氏の「レイヤー」の考え方は、仕事の捉え方にも転用することができるのではないか、ということだ。たとえば、会社の一員として働いて給料をもらう。でも、これもレイヤーをずらして、自分という会社が、いま勤めている会社と取引をしているとみなすこともできる(参考)。会社と個人の関係を、ひとつのレイヤーにだけ囚われて考えると、視野が狭くなって傷つけられたり、あるいは他人を傷つけてしまうかもしれない。

 

あえて陳腐な言い方をするならば、「視点を変えてみよう」ということだ。物事の捉え方は人それぞれであり、一般的と思われている捉え方(本書では、「匿名化されたレイヤー」と呼ばれていた)に囚われてしまうのは勿体無い。迷った時は、違うレイヤーによる社会の見方を探してみるといいかもしれない。そんなことを考えた。