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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「子どものための本棚作り」というのをずっと密かにやっている

日常
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こちらを読んで。

 

「子どもに読ませたい本」から感じる違和感
http://yawatosho.hateblo.jp/entry/2013/06/21/002749

 

「読ませる」に限らず、子どもに対して「◯◯させる」というのには結構抵抗がある。僕は両親にとっては最初の子どもだったということもあって、彼らも無駄に教育に力が入っていたのか、色々と「習い事」には通わされた。ただ、当時の僕はなんでこういった習い事に通わなければいけないのかが、さっぱり理解できなかった。習字だとかピアノの教室だとか色々と通わされたけど、今となってはほとんど忘れてしまって、結局何も身についていない。

 

一方で、本については親から「読みなさい」と言われたことはなかった。ただ、我が家には結構な量の祖父の蔵書が「あった」。そうやって身近に存在していた本の山から、僕は自分が興味を持った本を探して読んだ。そうしているうちに、いつしか祖父の蔵書にない本も色々と読みたくなって、学校や市の図書館に通うようになった。今では、読書は完全に自分の一部だ。

 

仮に、母が習い事と同じ要領で、僕に「子どもに読ませたい本」を「読みなさい」という形で与えていたら、僕は今のように本を読む人間になっていただろうか、と考えてみると結構興味深い。たぶん、本を読むようにはなってなかったのではないだろうか。本人の意志が一切無い状態で、「◯◯をしなさい」と与えられても、それを受け入れることは難しいのではないかと思う。子どもなら尚更だ。

 

この経験から、僕は子どものためにすべきは、読ませたい本を読ませることではなくて、読ませたい本が入った本棚を作ることだと思っている。僕が読書をするきっかけになった祖父の蔵書のような、本の山を用意しておく。ただ、「読ませる」ことはしない。あとは、子どもが勝手に、読みたくなって読むのを待てばいい。もしかしたら、用意した本棚には早々に興味を失って、外の本棚を探しに行ってしまうかもしれないけれど、それならそれでいい。

 

そういう信念で、僕は子どもができた時のための本棚作り、というのをずっと密かにやっている。自宅の本棚というのは、子どもがこの世で「本」と出会う最初の場所だ。ここにつまらない本ばかり並んでいたら、子どもは読書に興味を示さなくなってしまうかもしれない。そう思って、本棚に並べるべき本を必死に選定している。とりあえず、漱石全集と、江戸川乱歩全集は絶対に外せない。シャーロック・ホームズ全集も必要だろう。クリスティも代表的なものは置いておこう。北杜夫の本は言うまでもない。筒井康隆は、ちょっと悩むけどやっぱりこれも必要だろう……こうやって、未来の子どものための本棚の中身を考えるのが、実はちょっとした僕の趣味だったりする。

 

もっとも、子どもは愚か、僕はまだ結婚すらしていないのだけど、それはまた別の話だ。