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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

報連相の実際

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こちらを読んだ。「報連相」に出処があったということは知らなかったので、非常に勉強になった。

 

多分、報・連・相の意味は間違って伝えられてるよ
http://nikkeiph.com/spinaches/

 

さて、「報連相」。報連相は、日系の会社に入るとまっさきに教わるビジネスマナー(?)である。報連相とは言うまでもなく、「報告・連絡・相談」の略で、これを絶えず行うことが社会人の基本である、と研修の講師は言ってのける。僕は最初に教わった時から、これには違和感を覚えずにはいられなかった。

 

まず、「報告」と「連絡」の違いがよくわからない。これはどうやらFAQのようで、講師に質問すると「報告」は上の立場の人間に仕事の結果などを詳しく伝えることで、「連絡」は関係者に事実のみを端的に伝えることである、みたいな説明されるのだけど(これについては人によって言うことが微妙に違っていて何が正解なのかはいまだによくわからない)、このような分け方はそもそも適切なのだろうか。仮に、会社員の行う「情報共有」を要素分解した場合に、報告と連絡、というようにダブって切り出したらそれはMECEではないということになりはしないか。「ホウレンソウ」という語呂を保持するために、なんか無理やり報告と連絡を盛り込んでいるような気がして、正直あまりうまく分解できていないのではないかな、と思ってしまう。

 

まあ「報告」と「連絡」がダブっているとか違いが曖昧とかいう話は重箱の隅をつつくような話に近いので置いておくとして、一番僕が納得できなかったのが「相談」だ。「相談」という行為自体は別にいい。ただ、社会人は「報連相」を絶やしてはいけない、と研修講師は言う。「相談」を絶やさない、とはどういうことだ?とはじめてこれを聞いた時、僕は混乱をした。

 

「相談」は問題が生じた場合にすることである。逆に、問題が生じなければ相談などする必要はない。では、問題が生じた時にのみ「相談」を適切に行えば、報連相はOKということになるのかというと、どうやらそういうことでもないらしい。日本の会社における「相談」は、「勝手に自分で決めない」ために、通過しておく儀式という側面の方が実際には強い。特に問題がないということで自分で勝手に決めて仕事をどんどん進めていると、「なぜ相談しなかった、お前は報連相がなっとらん」とあとで怒られてしまったりする。

 

 「相談」を社会人の基礎動作のうちのひとつに数えるというのは、日本ではやはり仕事の分担について「裁量」という考えが浸透していないということの現れではないかと思う。自分にどこまで物事の決定権があるのかが明確でないので、「これは自分で決めていいのかな?」と少しでも悩んだ時にはとりあえず「相談」させる。日本の職場における「相談」は、本当の意味で問題点を話し合って解決するという意味での相談というよりかは、空気読みや根回しのスキルということになってしまっている。これはコミュニケーションコストの観点からも、正直いかがなものかと思う。

 

もう、いっそのこと「報連相」なんてよくわからないことを新人に教えるのは辞めて、端的に「情報共有をしっかりやりましょう」とだけ教えればそれでいいのではないだろうか。仮に「報連相」について教えるなら、本来の意味(風通しの良い会社を作る手段としての報連相)で教えたほうがいい。その場合、教育対象は新人ではなくマネージャーということになるのだろうけど。