脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

実家でホームシックになった

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数日前から、実家に帰ってきている。

 

僕の実家は関東の片田舎で、九州や北海道に住んでいる人に比べれば距離的には全然東京から離れていないのだけど、就職してからは色々と忙しくて、帰っても日帰りや一泊などのとんぼ返りが多かった。会社を辞めて少し時間に余裕ができたので、ちょっと顔を出しておこうということでとりあえずふらりと数日前にやってきた。

 

会社を辞めてから両親に直接会うのは始めてなので、会社を辞めたことについて何か言われるかとも思ったのだけど、それについてはほとんど何も言われることはなかった。ただ、「ばあちゃんには、辞めたことは言わないほうがいい」とだけ言われた。これには僕も賛成だった。

 

実家では両親の他に祖母も一緒に暮らしている。祖母は腰を悪くしてからあまり出歩かなくなったのだけど、その代わりに毎日ものすごい量の電話を親戚や友人にかけまくっているそうだ。twitterに張り付いている引きこもり大学生みたいな感じで、朝から晩まで電話越しにおしゃべりをしている。もし、祖母に僕が会社を辞めたことが知られたら、間違いなく親戚中にブロードキャストされ、話題の種にされるだろう。

 

別に会社を辞めることは悪いことでも何でもないので堂々としていればいいのだけど、田舎の、しかも祖母の年齢くらいの人にとっては、会社を辞めるという行為は社会的自殺に近い行為に見えるらしい。「会社は辞めたけど、ブログとかiPhoneアプリの開発とかで生計を立てているんですよ」なんて説明したって絶対に理解してもらえない。僕ひとりが親戚からなんと思われようと別に構わないのだけど、両親のこともあるので、祖母には「夏休みなんでちょっと遊びに来た」とだけ説明して適当にやり過ごした。

 

久々にのんびりと過ごそうと思って漫画を読んだりして数日過ごしたのだけど、どうもソワソワして落ち着かない。一言で言うと、「自分の家」という感じがしないのだ。僕が昔使っていた部屋は、僕が大学に進学した時に弟の部屋に変わり、さらにまた弟が大学進学の時に母の部屋へと変わった。それ以外にも家のあちこちがリフォームされていて、僕が住んでいた時には見たことがないような家具や家電であふれている。今は四畳半サイズの一部屋を間借りして使わせてもらっているが、なんだか他人の家に居候でやってきたような気がしてしまう。

 

家にいるとやはり落ち着かないので散歩に出かけたのだけど、国道沿いに昔あったはずの店が他の店に変わっていたり、閉店してそのまま放置されてしまっているのを見ては驚くということを繰り返した。故郷は間違いなく変化していた。しかも、おそらく発展とは逆の方向に。

 

生まれてから高校卒業まで、僕は間違いなくこのあたりで暮らしていたはずなのだけど、自分がどうやってここで生活していたのかを実感をもって思い出せなくなっていた。生活していたのは他人だったのではないだろうか、とすら思えてしまう。

 

実家に「帰る」とか「帰省」とかいう表現をするけど、どちらかというと今回は実家に「行く」とかそういう表現のほうがしっくり来るような気がしている。今では、東京の一人暮らしのアパートが恋してく仕方がない。僕はすっかり実家でホームシックになってしまった。

 

とりあえず、明日には東京に帰る予定だ。帰ったら、東京のつけ麺を食べに行こう。

 

田舎暮らしに殺されない法 (朝日文庫)

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