脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

コミュニケーションってそもそも「疲れる」ものだよなぁ、と。

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以下の「LINE疲れ」についての記事を読んだ。

 

“LINE疲れ”に陥る学生たち 「返信は義務」80%…既読機能が苦痛
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130823-00000500-fsi-bus_all

 

あるSNSが流行ると、結構な確率で「◯◯疲れ」という事象が発生しているような気がする。「mixi疲れ」という言葉もmixiが流行っていた時にはよく聞いた。最近は「facebook疲れ」なんて言葉もあるらしい。

 

実際、LINEの「既読」の二文字がプレッシャーに感じる人は多いのだと思う。マメな人ほど気にする機会は増えるだろう。もっとも、純粋に連絡用途で使う場合はあの機能が非常に便利なこともあるのは事実で、学生でなくなって数年たった僕にはどちらかというと便利な機能のように思えている。

 

この件に関して思ったのは、LINEの使用有無に限らず、コミュニケーションというのは本来的に「疲れる」ものだ、ということだ。二人以上の人が何かを一緒に行う場合、どうしても参加者はある程度テンションを合わせる必要がある。これには結構なエネルギーがいる。

 

例えば、一人でテレビゲームでもやろう、というのであれば、疲れたり面白くないことがあったらいつでもサッサと辞めてしまえばいい。それはもう完全に自由だ。一方で、友達の家に遊びに行って一緒に格闘ゲームとかをやることを考えると、「辞め時」については一応両者の合意がいる。もちろん「飽きた」とか「疲れた」とか片方が言い出せば、もう片方の人もそれに合わせることになるのが普通だと思うのだけど、ここに両者のテンションの違いがあると、一人で黙々とゲームをやっていた時よりもエネルギーの消費は大きくなる気がする。

 

以上はゲームの話だけど、これは会話だって一緒だ。ダラダラと意味もなく雑談をしていると、そろそろ切り上げたいなあと思うことがある。あるいは、全然話したい気分じゃないのに、話しかけられて正直かったるいなあと思う時もある。こういう時に、テンションの違いを合わせようとする作業にはやはりエネルギーが必要で、それはすなわち疲れの大きな原因になりうる。

 

そういう意味では、たとえばブログとかtwitterとかは、あんまり疲れない使い方もできるとは思う。自分が記事を書きたい時、あるいは呟きたいと本当に思った時にだけ投稿をするようにすればいい。疲れの大きな原因になる「テンションを他人と合わせる」という行為を避けさえすれば、一人でゲームをするのと疲れ方はあまり変わらない。特にtwitterは、そもそもがそういうゆるいコミュニケーションをコンセプトにしたツールだったような気がする。

 

もっとも、ブログだってコメントに返信しなきゃとか、毎日更新しなきゃみたいな気持ちになったら普通にしんどいツールになるし、twitterも自分宛のメンションには全部反応しないと、みたいに義務感を背負った瞬間に、疲労を感じさせるツールへと変わる。どんなツールも、リアルのコミュニケーションに近い使い方をしようとすればするほど、それはそれだけ「疲れる」ものになる。

 

僕は別に、コミュニケーションは「疲れる」から悪いものだ、と言っているのではない。いいか悪いかは全然この話とは関係ない。ただ、コミュニケーションはずっとやってれば疲れるものなので、適度に休息が必要だということは言えると思う。時には誰とも喋らずに、メールもLINEも見ず、ただ一人で過ごす「コミュニケーション断ち」の時間を作るというのは、この手の疲れから解放させるのにそこそこ有効なのではないかと思う。

 

「一人時間」を愉しむ生き方、暮らし方 (廣済堂文庫)

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