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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「質問」をしないなら講義なんて出なくていい

大学生活
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なんだかなぁ、と思う記事を増田で読んだ。

 

大学ってなんだろう
http://anond.hatelabo.jp/20131006171157

 

釣りかどうかという話はどうでもよくて、僕はこの記事の筆者に共感した。せっかく講義が早く終わりそうなのにもかかわらず、「質問」をすると「空気がよめないヤツ」ということになるらしい。そんなに早く終わって欲しいと思うのだったら、講義なんて最初から出なければいいんじゃないかなぁと思うのだけど、おそらくこの講義は「出席」に点数がついていたりするのだろう。そうでなければ、こういう状態にはならないはずだ。

 

自分自身が大学生だった頃から、僕は講義で「出席」を取る意味はないと思っていた。実習や演習・ゼミなどの一部の例外を除けば、講義で「出席」を取ることに利点はほとんどない。出席を取る手間で講義の時間は削れるし、出席点目当てのやる気のない学生が無理に講義を聴くにくると元記事のような状態になる。出席点を導入しなければ学生がひとりも出てこなくなるような講義なら、はじめからしないほうがいい。テストだけ実施して、合格できる学生だけに単位を与えればそれでいいだろう。逆に、真面目に全部講義に出ていたとしても、テストやレポート課題が水準に達していない学生には単位を与える必要はない。大学の講義の目的は「座ってつまらない話を聞く」ことにあるわけではないからだ。

 

『脱社畜の働き方』にも少し書いたのだけど、大学の利点は高校と違って決められた時間割に沿って、受けたくもない授業を毎日毎日受ける必要がないことだと僕自身は思っている。僕が学生時代に好きだった先生も、「勉強をするなら講義に出るよりも自分で教科書を読んだほうが身につく」ということを言っていた。黙って話を聞いているだけなら、大学の講義にほとんど意味はない。講義に出ることに意味があるとしたら、それは元記事で「空気がよめない行為」とされていた「質問」ができるという一点に尽きる。

 

大学で教鞭をとっている以上、程度の差はあれ先生はその道については深い知識を有した「専門家」である。その「専門家」に、直接質問ができるというのはこれ以上ない、講義に出ることの大きな利点だ。これは、残念ながら教科書を家や図書館で読むだけでは得ることができない。どんなに教え方が下手で、意味不明な講義をする先生の講義であっても、「質問をする」という使い方をする限りにおいては、講義に意味はある。逆に、それをしないなら講義に出る意味はほとんどない。

 

もっとも、「質問」さえすればそれでいいと言いたいわけではない。「質問のための質問」のような意味のない質問や、教科書にも書いてあることを質問するのはあまり感心しない。「いい質問」をすることは決して簡単なことではないのだ。「いい質問」ができるということは、それだけの水準にいるということになる。そういう人たちを、阻害するようなことはあってはならない。

 

ここまで書いてなんだか妙に説教臭いエントリになってしまったと少し後悔しているのだけど、せっかくなのでついでに言っておく。大学を卒業すると専門家に「質問」なんてなかなかできない。昼ごはんに夢中になるのもいいけれど、せっかく安くない学費を払っているのだから、使える機会は最大限使っていったほうがいいんじゃないだろうか。

 

質問力 ちくま文庫(さ-28-1)

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