脱社畜ブログ

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「文章を書くこと」の原体験

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ファーさん(id:fahrenheitize)の以下の記事を読み、ふと、僕も自分が文章のようなものを書き始めた時のことを思い出した。今日はそれについて少し書こうと思う。

 

文章を書くことが好きになったきっかけのこと
http://fahrenheitize.hateblo.jp/entry/20131108/1383850981

 

自分で考えてある程度の量の文章を人生で最初に書いたのは、たぶん小学校の読書感想文とか国語の課題とかだと思うのだけど、これはあまり覚えていない。これらは自主的に書こうと思ったわけではないので、そういう意味で個人的にはあまり重要な出来事だとは思っていない。こんな感じの「書くことを強制される」タイプの作文は好きではなかったし、あまりうまく書けたという思い出もない。僕の場合、学校の作文は文章を書くことが好きになるきっかけにはならなかった。

 

僕が、はじめて自分の自由意志で文章を書くことになったのは、もう少し後の、小学校5・6年生ぐらいのことだと思う。祖父が、ワープロ専用機を買い換えることになり(当時は、パソコンを所有しているような家庭はほとんどなく、文字を打ち込む機械といえばもっぱらワープロ専用機だった)、お下がりを僕にくれたのだった。

 

そのお下がりのワープロは、液晶部分に3行しか文字が表示されず、動作速度も遅くて画面も見づらい今思えばだいぶ使いづらい代物だったのだけど、当時小学生だった僕にとってはかなり心惹かれる玩具であった。大人たちがキーボードに向かって文章を打ち、新聞や市販の本で使われているものと同じ「活字」を印刷している姿は小さいころからの憧れで、それが自分でもできると思うと胸が踊った。マニュアルを読み込み、時には祖父に尋ねながら、僕はもらったワープロの使い方を必死に覚えた。

 

一通り使い方を把握し、文字入力にも慣れてくると、さて、これで何を書こうかと悩んでしまった。当時、僕は那須正幹先生の『ズッコケ三人組』にハマっていて、ひとつ自分でもズッコケ三人組の新作を書いてみてはどうかと考えた。いわゆる二次創作である。それまで、学校の作文以外では自主的に文章を書いたことはなかったのだけど、妄想をふくらませてハチベエやモーちゃんが登場する物語らしきものを書いてみることにした。幸いなことに、原稿は紛失したし記憶も定かではないので、ここで黒歴史を披露することはしなくて済むのだけど、はじめて「手書き」ではなく「活字」で紙に印字された自分の文章をみて、僕はかなり感動したことを覚えている。内容は遠く及ばないものの、市販の本とほぼおなじような字が印字できることが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

 

これに気を良くした僕は、お下がりのワープロを使って文章(っぽいもの)を量産することになった。流行っていたドラマの脚本らしきものを書いてみたり、漫画のノベライズらしきものを志してみたり、まあ当時書いたものはほぼ100%黒歴史なのだけど、こうやってワープロを使って青臭い文章をたくさん書いたというのが、僕の「文章を書くこと」の原体験である。こうやってしょうもない文章をたくさん書いて、それを印刷して遊んでいるうちに、「文章を書くこと」に対する苦手意識はなくなっていった。今では、「文章を書くこと」は自分の好きなことのひとつになった。

 

もし、祖父がお下がりのワープロを僕にくれなかったら、僕はずっと文章を書くことが好きになれずに大人になっていたかもしれない。当時与えられたのが、ワープロ専用機ではなくパソコンだったら、同じ結果になったかどうかはだいぶあやしい。たぶん、ゲームとかインターネットにハマってしまって、人生を踏み外していたのではないだろうか。あの当時、パソコンが高価で、多くの家庭がワープロしか買えなかったのはある意味ラッキーだったように思う。

 

ワープロ専用機はパソコンの普及と共にほどなく絶滅したが、いまだに僕にとってワープロは特別な存在であり続けている。子供や孫に与えるなら、たぶんパソコンよりもワープロのほうがいい。

 

それいけズッコケ三人組 (ポプラ社文庫―ズッコケ文庫)

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