インターネットはひとつではない。
いや、実体としてはやはりひとつしかないのだけど、いわゆる「インターネット」と聞いて僕たちがどんなものを思い浮かべるかは、実に多様だ。ほとんどの場合、自分が日常的に見ているサイトであるとか、ブログであるとか、SNSであるとかtwitterのタイムラインあたりがその人にとっての「インターネット」のイメージとなる。
ネット上には実際無数のコミュニティがあって、それによって空気が全然違う。たとえば、最近の例だと、「ひろゆきのアグネス・チャンへの公開質問状」を思い浮かべてもらうといい。
アグネス・チャンさんへの公開質問状 : ひろゆき@オープンSNS
http://hiro.asks.jp/90907.html
ひろゆきの日本ユニセフ&アグネス叩きについてそろそろ一言いっとくか
http://anond.hatelabo.jp/20131114111136
アグネス一派がひろゆきに反論 「日本ユニセフはまっとうな運営してる。中抜き(31億円)は妥当」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1780037.html
どのコミュニティも決して一枚岩では無く色んな意見があるのだけど、傾向として2ちゃんねるはひろゆきに好意的で、はてなは否定的と言えそうな感じがする。この問題について僕の意見を書くのはこのエントリの趣旨ではないのでやめておくけど、とにかくネット上のコミュニティにはそれぞれ「空気」があって、空気が違えば論調も変わる。
はてなと2ちゃんねるぐらいであれば同じ話題について相互に意見を書きあうことが可能で、ある意味「国交が開かれている」と言えなくもないが、中にはあまりにもテンションが違いすぎて、一見理解しがたいようなコミュニティもある。例えば、僕にとってはAmebaとかmobageあたりがそうで、ここでは「今日なに食べた??」「カレー☆」みたいなやりとりが延々とされていて、「日本ユニセフ」なんてワードはまず出てこない。こういうコミュニティは、僕の「インターネット」のイメージとはかけ離れているのだけど、Amebaとかmobageを日常的にメインで使っているユーザーにとってはこちらのほうが「インターネット」であり、むしろはてなとか2ちゃんねるとかのほうが異質に見えるのだと思う。
だから、「ネットで話題」なんて言葉をテレビとかで見ると、「どこのインターネットで話題なんだ?」とよく思う。ネット上には多くのクラスタがあって、そこにはそれぞれの文化・価値観があり、それぞれの作法でやりとりが行われている。インターネット黎明期なら、全体の参加者も少なくクラスタの数もそんなになかったのだろうけど、今は使う人も増えて、年齢の幅も広がり、かなり多様化が進んでいる。相当数の日本人が多かれ少なかれネットに関わっているわけで、もうメディアの「ネットで話題」という言葉は「日本で話題」ぐらいの意味しかない(もっとも、「ネットで話題」というフレコミ自体が捏造で、ネットのどこのクラスタでも話題ではなかった、「日本で話題ですらなかった」というケースもある)。
よく、「多様な価値観に触れるために世界旅行に行きましょう」みたいな話を聞くけれど、多様な価値観に触れるのだったら実は今のネットでもそこそこできる。ネット上に無数に存在するコミュニティは、言ってみれば「国」のようなもので、文化が違うコミュニティに参加してそこでやりとりをしてみることは、ある意味異文化交流に近い。僕は昔、友人とソーシャルゲーム開発をしていたことがあって、その時には当然、研究のためにmobageとかGREEを触ってみることになった。正直、さっぱりついていけないテンションではあったのだけど、だんだん頭では理解できるような気持ちになってきて、ちょっとした海外旅行にでも行ったような気分になったものである。
Twitterを使っていると、タイムラインに流れてくるのは自分が興味あると思ってフォローした人たちの発言ばかりで、それがそのままインターネットのあり方であるかのように思うことがあるけど、それは当然錯覚だ。ネット上には、自分の全然理解できないコミュニティがたくさんあって、自分が全然興味ないと思っている話を、真剣にやりとりしている人たちがたくさんいるのである。
たまには、自分の知らないインターネットを見にいくのも楽しいのかもしれない。
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