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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

再読のススメ

その他
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最近、少し本の読み方を変えている。

 

昔から本を読むのはかなり好きだったので、冊数にすれば結構それなりの数を読んでいる部類だと自分では思っているのだけど、基本的に僕の読書スタイルは乱読型で、同じ本を何度も何度も読み返すというのはあまりやってこなかった。もちろん中には、かなり気に入って暗記するぐらいまで何度も何度も読み返した本もあるのだけど、そういう本は生涯でも(受験参考書を除けば)せいぜい10冊ぐらいで、基本的にはかなりよいと思った本でも、一回読んだらそれでおしまいになっていた。

 

ほとんど再読をしてこなかったのは、再読の時間をケチっていたからだ。読み返す時間があれば、新しい本を一冊読める。自分の中では、一度読んだ本を再読するよりも、新しい本を一回読むほうが得るものが大きいと思っていた。一回読んだ本は、細部はともかく要点ぐらいはずっと頭に残っているだろうというヘンな自信あったのだ。

 

ところが最近になって、この認識は間違っていたことが判明した。ちょっとした思いつきで高校生ぐらいの頃に読んだ推理小説をもう一度読み返したのだけど、トリックや結末含めて何ひとつ覚えていなかったのだ。どうやら僕の場合、一回読んだぐらいでは数年で「読んだという事実」の記憶以外はきれいに消えてしまうらしい。そうだとすると、本を一回読んだぐらいの効果は、長期的に見るとほとんどゼロに近いということになる。

 

まあ小説なら、最初に読んだ時の新鮮な感動がまた味わえていいじゃないか、と考えられなくもないのだけど、これが普通の新書とかビジネス書なんかだと結構問題になる。新書やビジネス書は普通何らかの知識を得るために読むものなので(もちろん、楽しみのためという側面もモノによってはあるが)、それが時間を経てほとんどゼロに戻るというのでは、時間とお金をかけてわざわざ本を読んだ意味がない。

 

記憶と忘却の話になると必ず出てくると言っていいぐらい定番のものに「エビングハウス忘却曲線」というものがある。

 

忘却曲線 - Wikipedia

 

細かい話はwikipediaあたりを見てもらうことにして、ざっくり言うと、人間の脳は繰り返さないとほとんど記憶として定着しないという話だ。本も一回読んだぐらいでは、そのほとんどは抜け落ちる。1000円以上出して本を買って、最終的に記憶に残るのが本のタイトルと「読んだという事実」だけだったとしてら、なんだかものすごくもったいない。

 

そこで最近は、意図的に「再読」の習慣をつけるようにした。本は最初に一読した後に、「いつ」「何回」読み返すか決定するようにしている。最初に読んでこれはもう二度と読む必要がないと思ったら、別に再読する必要はない。そういう本は友達に上げるなり古本屋に売るなり好きにすればいい。一方で、これは記憶として定着させたいと思うような内容だったら、とりあえず反復のスケジュールを立てる。あとはスケジュールに沿って必要なだけ読み返す。

 

このように「再読」を基本的な読書習慣の中に取り入れるようにしたため、新しく読める本の数はだいぶ減った。一方で、「この知識が増えた」「この分野の理解力が上がった」と強く実感できることが多くなってきた。「知識・理解を得る」という観点では、ひたすら乱読していた時よりも結果的に効率が上がったような気がする。

 

この話は、普通に本を「読み返す」習慣がある人にとってはあたりまえすぎるのかもしれない。そうだとすれば、僕は今までそのあたりまえのことができてこなかったということになる。個人的には、ものすごく損をしていたと思う。

 

巷には読書術の本があふれている。速読術のようなものも人気だ。読書ノートや読書メモをブログにつけている人もいる。これらはいずれも読書の効果を高めようという行為だと思うのだけど、その中でも「再読」はシンプルで効果が高い方法のような気がする。本は一度読んだらそれで終わりという方も、一度「再読」を検討してみてはいかがだろうか。

 

読書力 (岩波新書)

読書力 (岩波新書)

 

 

あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。