脱社畜ブログ

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『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか』

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『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか』(内藤朝雄)という本を読んだ。

 

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

 

 

いじめに関する本を読んでこういうことを言うのは非常にアレな気もするが、とても「面白い」本だった。

 

いじめに関する書籍は山ほど出版されているが、本によって立場や主張はさまざまだ。過去のいじめ事件をルポタージュ風に綴ったものもあれば、現場の教師がいじめ対処の体験を語るものや、本来いじめとは縁もゆかりもなさそうな著名人が主観的な持論を展開するものまで、いろんな種類の本がある。その中でも、本書の取るポジションは興味深い。本書は、いじめを「日本の教育問題」といったローカルな社会問題として限定して考えるのではなく、条件さえ整えばどんな時代のどんな社会でも発生する「普遍的な現象」として考え、その発生メカニズムを明らかにしようと試みる。

 

それゆえ、教育関連の一部の本にありがちな、お説教のような記述はない。それどころか、人によっては「身も蓋もない」と感じかねないような記述もある(例えばp165)。

 

学校では、これまで何の縁もなかった同年齢の人々をひとまとめにして(学年制度)、朝から夕方までひとつのクラスに集め(学級制度)、強制的に出頭させ、全生活を囲い込んで軟禁する(実質的には強制収容制度になっている義務教育制度)。

 

現行の学校制度は、このように狭い生活空間に人々を強制収容したうえで、さまざまな「かかわりあい」を強制する。たとえば、集団学習、集団摂食、班活動、掃除などの不払い労働、雑用割り当て、学校行事、部活動、各種連帯責任などの過酷な強制を通じて、ありとあらゆる生活活動が小集団自治訓練となるように、しむける。

 

現行の教育制度の価値を信じ、現場で生徒に「心の指導」をしようと熱意に燃えている教師が読んだら、カチンと来てもおかしくないような内容である。もっとも、カチンと来るのはここに書かれていることが「事実」であるからとも言える。たしかに、学校は生徒を軟禁しているという点では強制収容所に類似するし、掃除や係活動は不払い労働・雑用割り当ての類である。

 

こういった現行の教育制度に対するある意味で「身も蓋もない」批判は、立場的にできないという論者も多いはずだ。例えば、現場の教師はこういう視点からいじめを論じることは絶対にない。そういうタブーを軽々と乗り越えている点でも、本書は「面白い」と感じられる。

 

本書は前半2/3程度でいじめの「メカニズム」を論じ、残りの1/3程度を政策提言にあてている。正直なところ、前半で説明される「メカニズム」は専門用語の導入が多く取っ付き易くはない。細かい部分で腑に落ちない説明や概念の導入もあるように感じられたが、理論の大筋はうまく「いじめ」という現象を説明しているように個人的には思えた。そういった「メカニズム」を前提とした上での「政策提言」には、説得力がある。

 

僕個人の体験を考えるに、本書でいうところの「群生秩序」がはびこっていた中学校時代はたしかに息苦しい時代だった。それが高校、大学と進み「群生秩序」が衰退し「市民社会の秩序」が大きくなるにつれ、どんどん生きやすくなっていったのは事実である。それが会社に入ることでまた少し「群生秩序」が大きくなり、会社を辞めてフリーランスになることでまた「市民社会の秩序」を取り戻した。「マイノリティ」でも迫害されず自由に生きたいと思う人にとって、本書の内容は腑に落ちるところが多いのではないだろうか。