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脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

成長とか成功とか気にせずに、読みたい本を好きに読めばいいのでは。

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以下の記事などを読んで。

 

読書家の俺が思う読書の弊害

新書100冊読んでも、なにも成長しない - あざなえるなわのごとし

本を読んで、成功できるのか?【読書】 - 読書で本から学ぶブログ

 

タイトルでいちばん言いたいことは言ってしまったので、ここからの話は基本的におまけ。

 

たまに、意識高い系の学生や会社員が「成長のために」 せっせとビジネス書や自己啓発書を読んでいるのを見かけることがある。熱心な人だと、心に響いた部分にマーカーで線を引き、あるいは付箋を貼り、「アウトプット」と称してブログに感想をまとめる。自己研鑚に励むのは大いに結構なことであるが、彼らを見ていると、正直な感想として「それ、楽しいのか?」と思ってしまうことがある。

 

読書が人生の糧になるであるとか、読書をすると世界が広がるという意見に、僕は基本的には賛成だ。本は筆者がまとまった時間を投入して執筆し、それなりのプロセスを経てから世に出ているものなので、そういうものに多く触れることで得るものがないとはあまり考えられない。古典の焼き直し自己啓発書100冊でも、1冊も読まないよりかは読んだほうが色々と効果は出るだろう。そういう意味で、読書は有益だとは言える。

 

ただ、それゆえに読書を「成長のための手段」と位置づけるのには僕は違和感がある。というのも、僕が本を読む理由は基本的には成長のためなんかではなくて、それがものすごく楽しいことだからだ。本を読んで、新しい知識や物語に触れるのはものすごく楽しい。たまに、全然自分とは合わない意見が書かれている本を読んだりすることもあるけど、そういう内容に触れて自分の考えを見なおしたりするのも、割と面白い。こういう体験ができるのであれば、別に成長なんてできなくても、僕は死ぬまで本を読み続けるだろう。

 

「成長のため」という位置づけで読書をする人は、仮に、読書が成長の何の役にも立たない、あるいは他にもっと効率よく成長する手段が別にあるとしたら、もう読書をするのはやめてしまうのだろうか。そうだとしたら、なんだかものすごくもったいないような気がする。本当は読書なんて好きじゃないけど、成長したいから新書を100冊読もうとしている人が仮にいたとしたら(いないと思うけど)、新書100冊を読む前にまずは読書自体を好きになる方法を考えたほうがいいのでは、とアドバイスしたい。

 

「何か特定のスキルを身につけたい」みたいな話だったら、正直なところ読書は手段としてはそんなに効率がよくない。予備校や職業訓練校の講座に通うとか、問題集を買って演習をするとか、知識のある人に教わるとかしたほうが身につくまでの時間は早い。だから、そういう効能を読書に期待するのはあまりよろしくない。読書はもっとじわじわと、長い時間をかけて効いてくる。そういった読書の恩恵を受けたいのであれば、あまり肩肘はらずに楽しみつつ読書を習慣化させていくのが一番いい。

 

個人的には、この知識を得た!とかアウトプットした!とか、そういうことをあまり気にする必要はないと思っている。ただ、自分の「興味」にしたがって本を読み続ければいい。「興味」は日常生活からも発生するが、本を読むことでも発生する。ある本を読んで発生した「興味」は、別の本を読む動機にもなる。そうやって本を何冊も読んでいくと、「興味」の幅がどんどん広くなっていく。僕は、これこそが読書の醍醐味だと思っている。

 

それゆえ、読む本を「新書100冊」というように限定してしまうのはもったいない。別に新書にかぎらず、小説でもエッセイでも、あるいはライトノベルでも、自分が読みたいと思ったらその本を読めばいい。案外、実用的でない本を読んで得た内容が、思いがけないところで役にたったりすることもある。スティーブ・ジョブズ的に言えば、未来を見据えて点と点をつなげることはできないのだ。どこかで役に立つことを緩やかに期待しつつ、興味の赴くままに読めばいい。楽しくない読書をしても、しょうがない。

 

ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない (マイナビ新書)

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