脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

意識が高くても別にいいんですよ、それを他人に押し付けなければ。

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拙著の書名(『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』)が以下のエントリ内に出ていたので、少し思ったことなどを書かせてもらう。

 

意識高い(笑)と小馬鹿にしてる人に哀れみを感じる。 - 拝徳

 

巷で「意識高い系(笑)」と言われてバカにされている人の多くは、多くの場合「意識が高い」ということが直接の原因でバカにされているわけではない。例えば、業績のよい会社の社長はほとんどの場合、どの人も意識が高い。孫正義なんてすごいだろう。でも、こういう人たちを「意識高い系(笑)」と言ってバカにする人はまずいない(参考:孫正義は果たして「意識高い系」か)。「意識高い系(笑)」と言われてしまう人は、意識だけは高いのに、それに結果がさっぱり伴っていないからバカにされるのだ。

 

もっとも、いきなり結果を出せる人ばかりはいないだろうから、最初のうちは「意識だけ高い系」になるのもやむをえないかもしれない。だからまあ、そういう人をあまりバカにするべきではないとも思う。意識高く仕事をするのもしないのも個人の価値観次第だ。お互い干渉することなく過ごしていければそれでいいだろう。

 

もっとも、この「お互い干渉することなく」が実現できずに、軋轢を生んでいる場面が多々みられる。例えば、意識が高い人の中には、周囲にも自分と同じような意識の高さを持つことを求める人がいる。意識が高くない人を「そういう人もいるね」と流すのではなく、「かわいそうだ」と思ってしまう。これは一言で言えば、余計なお世話だ。意識の高い人が週末に自己啓発本を読もうと、勉強会に行こうとそれはその人の勝手だが、仕事をひっかき回して業務量を増やしたり、サービス残業を「成長のため」と言って強要したり、休日出勤を「最初の3年はがむしゃらに働け」と言って正当化するようなことがあれば、それは断固として反対せざるをえない。

 

『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』というタイトルには、基本的にそういう気持ちが込められている。別に、「やりがい」を求めて働く人がいてもいいと思う。どんな価値観で働こうと、それは人の勝手だ。ただ、同じぐらい「やりがい」を求めないで働く自由もあっていい。そして、そういう価値観の違いを超えたルールとして、「契約」があり「法律」がある。どんな価値観で働くにせよ、このルールは守らなければならない。そういう「あたりまえ」のことを僕は言いたかったのだ。

 

元記事では「普段のマインド」の問題として「意識の高さ」を保つことが推奨されている。これは、わからない話でもない。もっとも、そういうのはたぶん「意識が高い」というのではなく「アンテナ感度が高い」とかそういう言い方のほうが一般的だと思う。世間一般で言うところの「意識高い系(笑)」の話と、元記事の話にはそういう意味でズレがあり、そこがものすごく「話が噛み合っていない」感じを生じさせている。

 

「アンテナ感度」が大事なのは別に仕事に限った話ではない。小説を書いている人は、日々の生活の中から創作のネタをつねに探しているだろうし、ブロガーでも熱心な人は自分の日常のすべてをネタにするという。この「感度」の話と「最初の3年間で今後の人生が決まる」云々という話は、本来別の文脈で語られるべきものだ。

 

僕も「アンテナ感度」は高いほうが人生は楽しくなると思うし、できるかぎり高く保てるように普段から心がけてはいる。もっとも、だからと言って他人が興味のないであろう話を延々としたりはしないし、「お前のアンテナ感度は低い」と偉そうに説教をする気もない。意識の高さにしても、アンテナ感度にしても、一番大切なことは「押し付けない」ことだと思う。それが結果的に、「誰もが生きやすい」世の中作りの基礎になる。

 

あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。

あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。