脱社畜ブログ

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『情報の文明学』(梅棹忠夫)の予言は現在も着々と実現されている

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アルビン・トフラーが1980年に『第三の波』によって情報化社会の到来を予言する17年前、日本で既に情報化社会の到来を予言していた人がいた。民族学・比較文明学者の梅棹忠夫である。その世界的に見ても歴史的だといえる論文「情報産業論」が、本書『情報の文明学』に掲載されている。

 

情報の文明学 (中公文庫)

情報の文明学 (中公文庫)

 

 

本書は、色んなところで度々言及されるので、存在自体は知っていたのだが通読したのは実は今回がはじめてだった。

 

長い間手に取らなかったのは、恥ずかしながら「古い本だし、いまさら情報化社会とか言われても」という先入観を持っていたからだと思う。この手の「的中した予言の本」はたしかにスゴイことにはスゴイと感じるのだが、いわゆる「予言の答え合わせ」をしたところで著者の先見の明に感嘆するだけで、あまり得るところはない――愚かにも僕はそんなことを考えていたようだ。

 

ところが、実際に読んでみて、本書は単なる予言の書で終わるような本ではないことに気がついた。たしかに、本書では実際に起こった社会構造の変化(農業社会→工業社会→情報社会)が予想されており、そういう意味では間違いなく予言の書なのだが、驚くのはそういった完了した予言(成就した予言)だけでなく、今まさに実現しつつあること(現在進行形で成就しつつある予言)まで書かれているということだ。

 

たとえば本書では、情報産業化の波は、やがてその前段階の工業へも影響を及ぼし、いずれ工業の情報産業化が起こると予言している。これはつまり工業のデジタル化のことを言っており、最近流行りのインダストリー4.0であるとか、IoTであるとか、そういう社会の変化のことをズバリ指摘しているようにも読める。つまり、『情報の文明学』はまさに今起こっていることについて書かれている本だとも言えるわけで、本書を読んでも古いと感じないのは本書の予言が終わった予言ではなく、今まさに成就する途上にあるからなのかもしれない。

 

「情報産業論」が出た時点ではインターネットは存在しないので、もっぱら筆者が具体的に言及するのはテレビ放送などが多いのだが、ここで言われていることはインターネットにもほとんどそのままあてはまってしまう。むしろ、インターネットを想起したほうがよりクリアに筆者の主張が伝わってくるものすらある。

 

個人的に面白いと感じたのは、「情報の値付け」についての考察だ。情報はそれ自体が物質的な形をもたないので、情報はその内容を知った時点で引き渡しが済んでしまう。そういう意味では、情報を売り買いする場合は中身を知らずに買うことが前提になっている。つまり、情報を買う側はその情報が「このぐらいの価値があるはずだ」という期待に対して金を払うわけで、これは当然裏切られることもある。たとえば、有料noteの記事を買うことを想定してみて欲しい。記事の100円とか200円とかいう値付の根拠はどこにあるのかと言われると、正直よくわからない。それでも買う人はいるのだから、経済としては成立している。

 

筆者はこの情報の値付けの方法の一案として「お布施理論」というものを提案しているが、まさに有料noteの記事なんかはそういった原理で取引されているようにも見える。50年前の論文で、有料noteの値付けと本質的に同じ話が議論されているのだから面白くないわけがない。

 

他にも筆者の指摘は読んでいてはっとさせられるようなものが多く(たとえば、宗教は情報産業の前駆的形態である、など)、古いという理由で本書を読まないのは非常にもったいない。内容も決して難しいことはなく読みやすいので、未読の方はぜひ目を通してみて欲しい。