脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

会社員は能力よりも印象が大事

まだ僕が会社で働いていた時の話だが、同僚に「よく怒られている」人がいた。

 

資料を作成すれば「ここが抜けてる、構成が悪い」と叱責され、意見を言えば「考えが足りない」と指摘され、質問をすれば「質問の仕方が悪い」と怒られる。僕は子どものころから、ずっと「他人が怒られている」ところを見るのがものすごくイヤだったので、その人が怒られるたびになんだか自分まで落ち込んでいた。

 

資料の構成が悪いであるとか、質問の仕方が悪いという指摘は、まあたしかに言われてみればその通りという側面もあって、何の意味もなく怒られていたというわけではない。ただ、どうも腑に落ちない感じがしたのは、「その人ばかり」が怒られていることだ。

 

例えば、その人が作って怒られたものとまったく同じ資料を、違う人が作って持っていっても、同じようには怒られない。意見も、その人が言えば「考えが足りない」ということになるが、違う人が同じことを言えば言えば普通に一意見として取り入れられる。質問についても同様で、まったく同じ質問をその人以外の人がした場合は、質問の仕方が悪いとは言われない。

 

結局のところ、その人は「仕事ができない」という印象を持たれてしまっていたのである。こんなふうに、一度「仕事ができない」という印象を持たれてしまうと、その後もずっとそういうバイアスがかかり続ける。実際にはもうほとんど改善されて、能力としては周りと大差ないレベルになっていたとしても、一度形成されてしまった印象はそう簡単には覆らない。評価を根本から覆すような大きな出来事でも起こらない限り、ずっと「仕事ができない」人として扱われ続けてしまう。

 

「仕事ができる」という印象を持たれている人だって、細かいところを見ていけば案外やり方がよくないところが見つかったりする。それでも、「仕事ができる」印象がある人は、いい部分ばかりが強調されて、それによってますます「仕事ができる」人として認知されていく。一方で、「仕事ができない」印象を持たれている人は、悪い部分ばかりが強調されて、「仕事ができない」イメージがどんどん強くなっていく。第一印象がその人に与える影響は、あまりにも大きい。

 

そういう意味で、職場における「最初の振る舞い」はものすごく重要ということになる。新入社員は特に注意しなければならない。新入社員だからと言って、ヘンに萎縮してしまって最初に舐められてしまうと非常に厄介だ。

 

一度ついてしまったマイナスイメージを払拭するのは難しいが、どうしてもその必要があるときは、なるべく印象的に変化を見せる必要がある。『半沢直樹』で近藤が、出向先で自分をバカにしていた課長を怒鳴りつけるシーンがあるが、あのぐらいのインパクトがないと、その人への「印象」は変わらない(勘違いしないで欲しいが、別に職場で怒鳴ることを推奨しているわけではない)。今までのイメージを払拭して、自分を「仕事ができる」人間に見せたいのだったら、能力向上以上に「見せ方」を工夫する必要がある。「毎日、少しずつ変わっていっています」という感じだと、いつまでたっても印象はよくならない。

 

マイナスイメージを払拭するのには、もっと簡単な方法もある。 環境を変えてしまうのだ。そうすれば、印象形成はまた最初からということになる。転職した途端、急に働きやすくなったりするのには、そういう理由もあるのだと思う(これはもちろん逆パターンもありうるので難しいのだけど)。

 

いずれにせよ、「印象」の比重は組織で働く以上は、「能力」以上にずっと大きいと言える。実際にはいくら能力があっても、周りから能力があるように見えなければそれはほとんど意味がない。「印象」を疎かにすると、ものすごく損をする。個人的な心情としては、「なんだかなぁ」と思わずにはいられないのだけど、それが現実だったりする。

 

あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。
 

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昨年できなかったことはたぶん今年もできません

2014年になった。

 

新年は、人によっては何かとやる気が高まる時期だったりする。この時期に、1年の目標を設定しようとする人もいるだろう。新年の目標の立て方については、昨年簡単な記事を書いた。要約すると、たぶんそのやる気は続かないからあまり高すぎる目標は立てないほうがいい、といった内容だ。

 

今年は、そんな新年の目標の立て方について、昨年とはまた違った側面から少し考えてみたいと思う。

 

新年の目標を立てる際に、「今年こそは」という考え方で目標を立てる人がいる。例えば、今年こそは英語を勉強しようとか、今年こそはブログを頑張って更新しようとか、バリエーションは色々あるが、とにかく昨年までできなかったことを、今年からはこころを入れ替えて頑張ろう、という考え方で目標を立てる人がいる。

 

これらは非常に立派な決意だと思うものの、おそらくほとんどの場合はうまく行かずに終わるだろう。今はやる気に満ち満ちているので行けるんじゃないかと思っているかもしれないけれど、それは錯覚にすぎない。昨年までできていなかったことは、おそらく今年も同じようにできずに終わる確率のほうが高い。

 

こんなふうにやる気になっている人に水をさすようなことを言うのには一応理由がある。今年こそはやろうと思っていることが、昨年までできていなかったのには、多くの場合それなりに理由があるからだ。そのできなかった理由を分析して、今までのやり方を改めない限りは、どんなに決意を新たにしたって根本的な解決にはならない。昨年失敗したのとまったく同じやり方を取れば、今年もきっと同じように失敗する。

 

例えば、昨年スポーツジムに通うという目標を立てたものの、結局途中で挫折してその目標が未達に終わったとする。今年になって心を入れ替えて「今年こそはちゃんと通うぞ!」とやる気を出しジム通いを再開したとても、昨年とやり方が何も変わっていないのだったら、やはりいずれは同じように挫折するだろう。

 

仮に昨年通えなくなってしまった理由が仕事の忙しさにあるのだとしたら、仕事の忙しさの影響を受けない休日や早朝に通うなど、「やり方を変える」必要がある。「今年の俺は去年までの俺と違う」と思う人もいるかもしれないけど、実際には昨年の自分も今年の自分も同じ自分だ。同じ人間が、やり方を変えずに同じことをして果たして違う結果になるだろうか?

 

新年、新年と言うけれど、実は年号以外はほとんど何も変わっていないということに気づく必要がある。2013年の12月31日と2014年の1月1日の間にある差は、2014年の1月1日と2014年の1月2日の間にある差と実質的には何も変わらない。新年ということで、決意を新たにして今までできなかったことに挑戦するなら、やる気だけに頼るのではなくて「やり方を変える」ことも忘れてはならない。やる気はどうせいずれなくなる。新年にすべきことは、やる気に頼った無謀な目標を立てることではなく、やる気がなくなっても大丈夫なようなやり方を考えることなのではないだろうか。

 

あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。