脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

「みんなで集まる」という営みは人間にとって不可欠

新型コロナウイルスの影響で、ライブ、演劇、勉強会などのイベントが軒並み中止になっている。僕も今月、行くはずだったライブの予定が1つキャンセルになった。前々から楽しみにしていたライブなのでショックなのだが、報道などを見る限り、ライブは感染の危険性が群を抜いて高いようなので、さすがにこればかりは仕方がない。

 

会社のほうも全面的にリモートワークになったので、最近は平日も休日も、基本的には家にいる。当然だが、そのままだと運動不足になってしまう。そこで、適当に近所を散歩をする。「換気の悪い密集空間」は避けるようにとのことだが、屋外を散歩するぶんには特に問題はないはずだ。何より、ずーっと引きこもっているのは、身体だけでなく心にも悪い。

 

最近は気温も春っぽくなってきたし(まだ日々の寒暖差は激しいが)、雨さえ降ってなければ外を散歩をするのは気持ちが良い。しかし、いくら晴れた日に散歩をしても、何か心が満たされていない感じがする。新型コロナウイルスがじわじわと広がっていき、学校が一斉休校になり、報道がコロナ一色になって……という世の中が「いつもと違う感じ」になってしまったのも原因ではあると思う。でも、なんというか、もっと根源的なレベルで「満たされていない」感じがするのだ。

 

そしてさきほど、ようやく理由に思い当たった。たぶん、自分はどこかに、みんなで集まりたいのだ。

 

それは少人数の飲み会でもいいし、ライブでもいいし、勉強会でもいいのだけど(満員電車だけはちょっと違う)、とにかく緩やかに目的を同じくした人たち同士で集まって、楽しいことだったり意味のあることだったりをしたいのだろう。今回の新型コロナウイルスで、それが軒並み禁止というか、できなくなってしまったので、それでちょっと心が満たされていない感じがするのだと思う。

 

これは別に、憲法が保障している「集会の自由」 を守れとか、今回の自粛は行き過ぎなので政治家は行動を改めろとか、そういう話をしたいわけではない。ただ、いざこうなってみるまで、自分にとって「みんなで集まる」という営みが大事なことだったということに、気がつかなかったというだけの話だ。

 

今はネットを使えばいくらでもバーチャルに集まれるという意見もあるかもしれないけど、やはりリアルとバーチャルでは大きな違いがあると僕は思う。テクノロジーの力を使ってその差をどこまで埋められるか、というのはチャレンジとしては面白いしやる価値があることだとは思うけど、当面はまだまだ両者の間には溝があるだろう。

 

早くこの騒動が終息して、またみんなで集まれるようになるといいですね。

 

人間ども集まれ! (手塚治虫文庫全集)

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職場に不満があるなら、転職という選択肢はいつでも持っておくべき

こちらを読んで。

 

 

この記事には反対意見も多く、僕自身も賛同できなかったのでツイッターにちょろっと意見を書いた。基本的に、僕は「転職しないほうがいい」という意見を強く言う人をあまり信用していない。もちろん、過剰に転職することを煽る人も同程度にはあやしいのだが、人間が働く上で環境は無視できない要素であり、その環境を大きく変える手段である「転職」という選択肢はいつだって有効である。

 

世の中の会社が全部似たような場所なら「どこに行っても同じ」という意見は成り立つが、幸い、会社にはそれぞれ多様性があって、規模や仕事内容、カルチャー、所属する人間一つ一つが違うわけなのだから、今の会社が合わなくても他の会社に行ったらうまくいくということは十分考えられる。僕の周囲でもそういう例の転職で成功した人はたくさんいるし、僕自身も数社ほど経験した身だが、やはりそこで幸せに働けるかは会社次第という印象が強かった。

 

よく、ポジティブな理由以外での転職を否定する人がいるが、これは基本的にはポジショントークなので鵜呑みにする必要はない。この手の意見については、過去に何度も反論を書いている。

 

 

冒頭の記事の主張も基本的にはその亜種で、「成果」という言葉をキーワードに、ポジティブな転職ならともかく、ネガティブな転職をする人は「負け組」であるとしている。ただし、ひとつ重要な指摘もしてはいるとは思う。ネガティブな転職をした後、つまり評価をリセットした後の動きが重要だというのは、僕も同意する。転職が最終目的なのではなく、手段だということは忘れるとたしかに痛い目にあう。

 

ところで、冒頭に上げた記事には「職場の不満の多くは成果を出せてないのが原因」と書いてあり、それがこの記事の主張を支える大前提になっているが、これは果たして本当なのだろうか。むしろ、不満は「成果を出しても評価されない」ことや、「人間関係」のような必ずしも成果と関連するとは限らないことから来ることもかなり多いのではないだろうか。このあたりの論理展開があやしいので、冒頭の記事はやはり読んでいるともやもやする。

 

もっと言うと、「成果」というのはわかったようでわからない言葉である。日本に成果主義を根付かせようという意見はかなり前からあるが、うまく根付いているという企業はほとんどない。これは第一に、「成果」を測定することの難しさから来ている。プログラマーの成果を足されたコードの行数で測るようなことをすればたちまちプロジェクトは崩壊するし、売上だけを「成果」の指標にすると、先行投資的なプロジェクトに携わっている人はいつまでたっても評価されないことになる。「成果」の指標設定を間違えば、スルガ銀行のように不正を誘発するおそれもある。「成果」の実態はあやふやで、時にはそのあやふやさが、多くの混乱を生むことになる。

 

転職を検討するなら、「成果」のようなわかりづらいものを持ち出すよりも、シンプルに「自分の気持ち」に従うことを考えたほうが良い。人間にはある程度の共感力が備わっているとはいえ、究極的には、自分の気持ちは自分にしかわからない。自分が今の環境をどうしても嫌だと思うのであれば、その感覚は基本的に正しい。仕事が楽しくないという感覚も、自分が心からそう感じたのであれば、やはり正しい。もちろん、他人に相談して意見を聞くことも大切だ(ただし、相手は会社の人事担当者でないほうがいいのは言うまでもない。基本的に、自分が転職しようとしまいと、それに利害関係がない人を相談相手には選ぶべきだ)。しかし、最終的に決断を下すのはやはり自分である。

 

実際に転職するかどうかは別として、どんな場合でも選択肢の中に「転職」というオプションはつねに確保しておくようにしたい。特に若い人は、これから一生、同じ会社で働き続けるというのはあまりにも現実的ではない。いつかはどこかで、必ず会社を離れる時が来ると思っておいたほうがいいだろう。

 

一生、同じ会社で働きますか?

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