典型的な大学生は、3年生の夏くらいから、少しずつ就活を意識しはじめる。友人がサマーインターンシップに行き始めたり、面接帰りにスーツで大学に来る人間が現れたりして、自分も何かやらないとやばいんじゃないか、と焦りはじめる。秋ごろからは就活団体の主催するセミナーや、合同説明会にちょっと参加してみたりする。4年生になると、本格的に就職活動がはじまり、実際に何社も試験や面接を受けたりする。友人に会えば、内定をとったとらないの話以外しなくなる。
さて、彼らのうちの何割が、本当に就職をしたいと心から思っているのだろうか。
実際にやりたい仕事があって、その仕事に着くために就職活動をしている人はどれだけいるのだろう。たぶん、3割にも満たないだろう。現実は、周りが就活をすることに流され、渋々自分の進路を決定しているというケースがほとんどなんじゃないだろうか。
特にやりたい仕事もないが、周りが就職活動をしているし、大学を卒業したら働くものと世の中では決まっている、そういう理由で、多くの大学生が消極的に就活をはじめる。志望理由をなんとかでっち上げ、普段思っていることとは正反対の内容を面接で喋り、場合によってはエピソードを捏造してなんとかしてどこかの企業に潜り込もうとする。
なんとか内定を獲得したとして、入社後も辛い状態は続く。特にやりたくもない仕事に、週の七分の五を割くことになる。それが定年まで続く。考えただけでもゾッとする。
この状態は果たして健全だと言えるのか。僕にはとても健全には思えない。
こんな世の中になってしまっている原因はいくつかあるはずだが、一つは日本の新卒至上主義に理由があると思われる。
多くの大学生が13卒だとか14卒だとか言われて足並み揃えて就活をしなければならないのは、そもそも日本の企業の多くが新卒しか取らないからだ。卒業してから別途スキルを磨き、各々のタイミングで好きな時に就職するという選択肢が日本にはない。だから、日本の大学生は時が来たら無理やり自分を納得させて就職するしかない。
そもそも、大学は学問をするところであって、職業訓練所ではない。だから、新卒の学生を採用しても到底戦力にはなり得ず、企業側にはあんまりメリットはない。それなのに、大多数の学生はどこかの企業に新卒で就職することが前提になっている。おかしな話だ。
新卒至上主義の社会では、新卒で採用した学生を、企業が戦力になるよう教育することが前提になっている。しかし今時、それだけのコストを投入するだけの余裕がある企業がどれだけあるのだろうか。それにこれは、企業が頭が空っぽな学生を都合のいいように洗脳することが前提のシステムといってもよい。こんなものはもう時代遅れだ。
新卒至上主義は滅びればいい、僕はそう思っている。

- 作者: 大沢仁,石渡嶺司
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