脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

会社なんて、みんな好きな時間に行ったらいいじゃない

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いまだに、日本の会社は始業時間が厳密に規定されているところが多い。

 

必然性がある場合ならこれもわかる。たとえば、百貨店などの客商売で、開店時間がしっかり決まっているものであれば、始業時間を定めておくことも必要だろう。工場のように、決められた稼働時間で全員が動く必要がある場合もやむを得ない。

 

しかし、特に全員が朝から晩まで協働するわけでもない職場でも、始業時間が定められているところは多い。僕は、これは意味が無いことだと考えている。強く生産性を阻害しているとさえ思える。

 

不思議なのは、始業時間に5分遅刻しただけですごい剣幕で説教をしてくる人がいたりすることだ。もちろん、朝イチで会議があり、自分が遅刻をして他の参加者に迷惑をかけた、というようなケースであれば怒られるのもやむを得ないとは思う(もっとも、朝イチで会議をする必要がどのくらいあるのかは疑問だが)。

 

しかし、そうでない場合にも怒られたりする。「あなたに何かご迷惑をおかけしましたか?」とでも言おうものなら、「社会人として云々」みたいな理由になってない理由でさらに怒られることになるだろう。不合理である。

 

そもそも、人によってパフォーマンスが発揮できる時間というのは違う。たとえば、僕は極端に朝が弱い。そのため、午前中はあまり活動できない。無理して会社に行ったとしても、頭がぼんやりして仕事にならない。一方で、朝起きるのは全然辛くないけれど、夜になるとすぐに眠くなってしまうという人もいる。人それぞれ、一番気持ちよく働ける時間で働くようにすればいいと思う。

 

もちろん、たまには顔を合わせて話し合ったりする必要もあるだろう。こういう時は全員が参加できるように時間を合わせる必要があるけど、基本的に昼間や午後の早い時間に集めるようにすれば、大抵はなんとかなる。それでも賄えないとするならば、それは会議の数自体や出席者が多すぎるということなので、そちらを見なおしたほうが良い。

 

特に必然性がない限りは、始業時間なんて廃止してしまったほうがいい。就業時間を定めるにしても、6-12時出社、15-21時退社のように多めに幅を持たせた方がいいだろう。電車の混雑だって緩和される。誰も困らない。

遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成

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