前回、始業時間を定めることは特別な理由がない限り生産性を阻害するだけで意味が無いという内容のエントリを書いたが、会社の始業時間については、さらに不合理なことを言う人がいるようだ。
それは、「社会人たるもの、始業時間のN分前には出社して、席についていなければならない。始業時間ギリギリに来るやつは、仕事ができないやつだ」という主張だ。
N分は主張する人によって変わる。10分ぐらいの人から、ひどいケースになると1時間とかの場合もあるようだ。
もはや、ここまで社畜根性丸出しだと、称賛に値するような気がするけど、こんなことを言うやつが先輩とか上司にいたら非常に困ったことになる。僕なら、即効で喧嘩してから、その会社を辞める。
これでは、一体なんのための始業時間なのかわからない。仕事の準備時間を強制したいのであれば、始業時間を早めてその分を賃金計算に含めなければそもそも違法のはずである。社会人の常識というのが守れても、法律を守れないのでは人としてどうしようもないと思うのだが。
さらに言うと、始業時間ギリギリに来ることと、仕事のできるできないには関係がない。少なくとも、僕の周囲だけでもたくさん反例はある。逆に、こういうことで細々と文句を言う人は、問題の本質が見えない人間だということだ。仕事のできないことを自ら表明しているのと同じである。
「最近、部署の若い人が始業時間ギリギリに来るので困っています」という内容の相談をQ&A系のサイトにしている人をたまに見かけるけど、本当にそれで何か具体的に困っているのか聞いてみたいものだ。自分が我慢ならない、というだけで実害は特にないはずだ。早く会社に行きたい人が早く行くのは勝手だが、それを他人に強制していい理由はひとつもない。
ルールを漫然と守る、というだけでは奴隷と一緒だ。不合理なルールには、断固としてノーを唱えよう。

常識からはみ出す生き方 ノマドワーカーが贈る「仕事と人生のルール」
- 作者: クリス・ギレボー,中西真雄美
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/07/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- クリック: 16回
- この商品を含むブログ (4件) を見る